ロッキード事件が発生して50年が経つ。在米大使館の外交官として田中角栄元首相の訪米に立ち会い、東京地検特捜部検事としてロッキード事件の捜査と公判に携わった堀田力さんは、事件発覚以前から田中に対して、基本的な態度や金銭感覚の面で違和感を覚えていたという。
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ハワイでの遭遇
田中角栄は1972年7月7日に総理大臣に就任し、翌8月末、リチャード・ニクソン米大統領との初めての日米首脳会談に臨むため、米国・ハワイのオアフ島を訪問した。
堀田さんは、法務省から外務省に出向し、ワシントンDCの在米大使館で勤務を始めて半年ほどたったころだった。
秘密指定を解除されて閲覧可能となっている日米両政府の外交文書によれば、田中首相は、オアフ島の南端に近いワイキキビーチ沿いにあるサーフライダーホテルに宿泊するつもりで、米政府にもその意向を伝えていた。ところが、このホテルについて「田中の主要な資金支援者である小佐野氏が所有している」と知るや、ホワイトハウスは8月9日、オアフ島の北端にあるクイリマホテルを会談場所に指定し、田中首相一行の宿泊場所もクイリマホテルとするよう日本外務省に申し入れてきた。
ワイキキとクイリマは直線距離で50キロ離れており、ホノルルの日本総領事が実際に車で移動してみて、要する時間を片道1時間15分と見積もった。
日本側はクイリマ宿泊を断った。
堀田さんによれば、大使館には「大きな動揺」が走った、という。
「その国に行った立場としては、その国の指定するというか接遇するホテルに泊まり、その国のしきたりに従って接遇を受けて、そこで交流をするのが、これはもう外交の常識、しきたりとして確立している、外交上の儀礼で、それに田中さんが従ってくれないというので、非常に動揺しておりまして」
大使館勤務を始めて間もない堀田さんは、要人の接遇を担当していた。どこに泊まるかは接遇のおおもとであるため、大使館の幹部とホテル問題の経過を共有していた。
「田中さんが国際儀礼を知らない、言ってみれば恥ずかしいことをして、しかもそれをいくら本省を通じてそれが礼儀に反するということを申し入れても聞いてくれないということで、本省のほうもそこをそれ以上押し切れないというので、そうとう外務省の、出先の外務省の幹部たちも、そこで大きなショックを受けておりました」
田中首相が誕生して1カ月ほどしかたっていなかった。
「外交上の礼儀にすら従ってくれない、外交上マイナスになるような総理大臣だということで、しかも、がっかりすると同時に、それを説得できない本省に対しても、出先でも幹部たちは大きな不満を持っておりました」
「危ういタイプ」
東京の外務省本省に対し、出先の大使館の堀田さんらは「直接、田中さんと談判するなり、もっとしっかりしてくれよ」という思いを抱いたが、刑事事件を扱う検事に比べて、外務省は「紳士の方々」。堀田さんの目から見ると、押しが弱くて、「歯がゆかった」という。