原作と映画で、なぜ時代設定が変わったのか
――石井監督が脚本を書かれたのですが、これはずいぶん時間がかかったようですね。
池松 そうですね。これまでも、石井監督の映画には関わってきましたが、改稿を重ねて、今回は一番長くかかったんじゃないでしょうか。対話も何度も繰り返しました。
――平野さんは脚本を読まれて、また映画を見て、どうお感じになりましたか。
平野 もともと長編小説を2時間の映画にするのは、難しいです。特に『本心』は情報量が非常に多いので、そのままストーリーをなぞる形で映画にすると、「ダイジェスト版」みたいになってしまう。一回解体して再構築をするやり方しか無理だと思うのですが、今回最初にあがってきた脚本から、単純に面白かったですね。
実際に出来上がった映画を見てみると、僕がイメージしきれなかった映像表現もたくさんありましたし、何といっても役者の皆さんが、脚本の言葉に血肉を通わせて、一つの物語にしてくれ、幸せな気持ちになりました。
――原作では2040年の設定でしたが、映画では2025年になりました。
平野 新聞連載当時は、亡くなった人をAIで蘇らせる、ということは、読者があまりピンときていませんでした。連載している途中で、美空ひばりさんを蘇らせる、という企画をNHKがやり、初めて「ああそういうこと!」、と。
思っていたよりもテクノロジーの進化が早くて、映画が2025年の設定でも違和感はありませんでしたね。
池松 AIの研究者の方たちが映画を見たあと、「とにかく今年なんだ。来年では遅かったかもしれないし、去年だったら認識が追い付いていなかったかもしれない」と話されていた、と聞きました。映画のほうは現代に寄せてきましたが、あの原作にある、生きることと密接につながった社会として描くには、といった判断でこの設定になったと思います。