作家・平野啓一郎氏と文芸評論家の尾崎真理子氏の対談「大江健三郎を偲ぶ」(「文藝春秋」2023年5月号)を一部転載します。

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作家たちとの食事会

 尾崎 3月3日に大江健三郎さんが亡くなりました。大江文学の本格的な評価はこれからで、「100年価値が残る」作家になるのではないかと考えています。

 平野さんと大江さんといえば、1999年に『日蝕』で芥川賞を受賞してデビューされた時、大江さんから平野さんへの伝言を頼まれて、私がお伝えしましたね。

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 平野 ええ。「30歳までは自分の書きたいことしか書いてはいけない。それが出来れば、あとはもう大丈夫だから」といった内容のメッセージでした。とても勇気づけられたのを覚えています。

大江健三郎氏 ©️時事通信社

 尾崎 大江さんは、1957年、東京大学在学中の22歳でデビューし、翌年芥川賞を受賞します。同じように京都大学在学中に23歳でデビューした平野さんに、強いシンパシーを感じていらしたんだと思います。

 平野 そういう経緯だったので、デビュー時に大江さんのお名前も随分と引き合いに出されましたから。

 尾崎 平野さんは、2012年にパリで開かれた書籍展「サロン・デュ・リーブル」に、大江さんと一緒に参加されましたね。私も取材で同行していました。

 平野 ええ、他にも多和田葉子さんや島田雅彦さんなど、20人近くの日本人作家が参加しました。

 ほとんどの作家が大江さんと初対面でしたし、恐れ多いという感じで、空港でバスを待っている間、ちょっとポツンとなってたんですね。それで、みんなとの食事にお誘いしようということになったんです。

 それで、僕がお声がけして、「それはいいですね」と気さくにOKしてくださいました。ところが、直前になって、「私は食事をしながら人と話すという習慣がないんです」と断られてしまいました。

 尾崎 それも、大江さんらしい気まぐれだし、恥じらいだったのでしょう。

 平野 こちらは肝を冷やしましたが。ただ、翌日再度お誘いしたら、今度は来てくださいました。とても機嫌良くすごされて、他の作家たちとも賑やかに歓談し、飲みきれないぐらいのワインをご自分で注文されていました。