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浅沼刺殺事件から小説を

 尾崎 大きな物議をかもすことになった、「セヴンティーン」についても触れておきたいと思います。

 この作品は、1960年に起きた浅沼稲次郎社会党委員長刺殺事件に材をとったものでしたが、とりわけ第二部の「政治少年死す」の主人公は、当時17歳だった現実の刺殺犯・山口二矢(おとや)にきわめて近い設定です。

 昨年の安倍元首相銃撃事件でも、この作品を思い出した人は少なくないでしょう。しかし、第二部「政治少年死す」は、今にいたるも単行本になっていません(『大江健三郎全小説第3巻』には収録)。

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平野啓一郎氏(左)と尾崎真理子氏 ©文藝春秋

 というのも、おりしも発表直後、嶋中鵬二・中央公論社長宅に、山口二矢と同じ大日本愛国党員の17歳少年が侵入、お手伝いの女性を刺殺する事件が起きたからです。天皇とその一家が殺される場面の出てくる深沢七郎の小説「風流夢譚」が、「中央公論」に掲載されたことへの抗議でした。

「政治少年死す」は、「文學界」に掲載されましたが、版元の文藝春秋に脅迫状が届き、「文學界」編集長が謝罪文を出すまでの騒動に発展しました。

 おそらく大江さん本人にも脅迫が及んで、その後も長く続いたはずです。私は大江さんのご自宅に何度も参りましたが、書斎がある2階の鎧戸が開いたのを見たことがありません。にもかかわらず、あれだけ社会的発言を続けられた義侠心には、敬意を覚えます。

 平野さんも、SNSなどを使って果敢に発言をされていますが、大丈夫ですか?

 平野 書き込みなんかでひどい悪口を書かれることはありますけれど、今のところ身体的な危害までは心配していません。

「セヴンティーン」に話を戻しますと、僕はこの頃の大江さんの社会へのアプローチに、かなり影響を受けているんです。

「セヴンティーン」の天皇に心酔する青年は、いっけん大江さん自身の考え方とは対極にある人物に見えます。でも、だからといって突き放すのではなく、むしろ右翼青年に自分を投影するように書いている。戦時下に四国の小さな村に育ち、皇国教育を受けた大江さんの中にある、自分もこのような日本人であり得るのではないかという、強い自己批判的な姿勢を感じます。

 だから「セヴンティーン」は、右翼を揶揄していると怒りを買った反面、三島由紀夫などは、大江健三郎は、やはり根っこの部分ではこうなんだ、という読み方をしました。

平野啓一郎氏、尾崎真理子氏による対談「大江健三郎を偲ぶ」全文は、「文藝春秋」2023年5月号と「文藝春秋 電子版」に掲載されています。

文藝春秋

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大江健三郎を偲ぶ