朝ドラ『虎に翼』(NHK)が終わって、ロスになっていた人も多いのではないだろうか。しかし、10月に入り、今期はドラマが豊作である。その中でも、特に『虎に翼』の中にあるフェミニズムの精神を受け継いでいるように見えるのが『若草物語―恋する姉妹と恋せぬ私』(日本テレビ)である。ふたつの作品には、どのようにフェミニズムが描かれていたのだろうか。
「はて?」と「スン」という発明『虎に翼』
『虎に翼』は、ヒロイン・寅子(伊藤沙莉)が、さまざまなことに対して「はて?」と疑問に持つところからスタートする。彼女が「はて?」と思うことは多岐にわたる。最初の「はて?」は、お見合い相手に世界情勢について話したら喜ばれたので、対等に話せると思い持論を展開すると「女のくせに生意気な」と言われたときだった。
その後の「はて?」は、下宿人(で、後に夫になる)の優三の通う大学にお弁当を届けに行ったときに法律の授業をたまたま見かけ、そこで民法に「主婦は無能力者である」と書いてあることを知ったときである。しかし、このことをきっかけに寅子は法律を学ぶこととなる。
寅子が感じる「はて?」という問いは、今では当たり前のように疑問に感じる人もいるかもしれない。しかし、気付かぬところにまだまだ「はて?」は残っているし、なかなか「はて?」とは言えなかった人もいるだろう。「はて?」とは言えずに、それをぐっと自分の中に押し込んでなんでもないふりをしている状態を『虎に翼』では「スン」と表現した。率直に疑問を呈したり、言い返したりできなかったとき、人は「スン」となって、その疑問を内に閉じ込めてしまうものだ。
『虎に翼』において、この「はて?」と「スン」は、視聴者が寅子たちと感覚を共有するための「発明」であったと感じる。
寅子だけではない。寅子以外のキャラクターにも、ひとりひとりのフェミニズムの問いが描かれていた。
印象に残るものでいうと、寅子とともに明律大学で法律を学ぶ、既婚者の梅子(平岩紙)の場面だ。彼女は夫からモラハラを受け続け、堂々と婚外恋愛をされ、そのくせ、夫と姑と息子のケアはすべてさせられていた。家制度の問題点を一身に受けているような彼女が、家族との決別を告げるシーンには、晴れやかなものがあった。
女子部の仲間である山田よね(土居志央梨)は、普段からパンツスーツなどを身に着け、言葉遣いにしても他の女学生のような所謂「女性らしい」(と思われているような)ところがない。また、「私は男になりたいわけじゃない。女を捨てたかっただけだ。自分が女なのかと問われれば、もはや違う。恋愛云々は、男も女も心底くだらないと思っている人もいる」とも言っている。
花江(森田望智)は、猪爪家に嫁にきて寅子の義姉になり、家の中から家族を支えている。寅子とは対極であるが、ときおり、寅子たちのようにバリバリと外で働く女性と自分を比べて、自分の存在意義に悩む様子がリアルであった。しかし、女性が総じて「外」で「活躍」をすることだけが正しい生き方ではない。
フェミニズムは一人一派と言われている。フェミニズムの考え方のベースは同じであるが、その表出の仕方は違う。『虎に翼』では、いろんな女性の生き方があり、その悩みはそれぞれであると描くことで、様々なフェミニズムのあり方を示していた。
では、それに続くドラマとして期待されている『若草物語』はどうだろうか。