4月から放映されているNHK連続テレビ小説『虎に翼』の快進撃が止まらない。日本初の女性弁護士である三淵嘉子をモデルとする主人公・猪爪寅子(いのつめともこ)が、結婚こそ女の幸せという周囲に「はて?」と疑問を抱き、折しも募集を始めた明律大学法科(明治大学がモデル)の女子部に進学し、男性中心的な社会でそれぞれに苦しみを抱える仲間たちと連帯して、そのような社会を変えるべく、現在の司法試験にあたる高等試験に挑む。
私自身、ちょっと大げさになるが、このように痛快なフェミニズム的連帯の物語をこれほどのメジャーな媒体で、生きている間に見られるとは思ってもいなかった。感動を持って見始めたし、今も毎回感動しながら見ている。
さて、そのように感動してしまっている私は一応男性を自認する者なのだが、このような女たちの物語を、男性はどのように受けとめればいいのだろうか。
ひとつの方法は、そもそもそのような疑問は抱かず、黙って、女たちの物語としてこのドラマを観ることだろう。何か一言言ってやりたいという自分の欲望には冷たい水をかけながら、女たちの物語をあるがままに受けとめることが、まずは必要である。
それを確認した上で、ほかならぬ私自身が「一言言ってやろう」という欲望に動かされているのかもしれないと恐れつつ、『虎に翼』の女たちが特筆すべきものであるのと同様に、このドラマの男たちもこれまでにない人物造形になっていることは、しっかり記録しておくべきだろうと主張したい。
当初は女子学生たちを見下していたが、助力者に姿を変える男性も
寅子の理解者で、彼女の進路をサポートする父の直言(なおこと)、寅子の良き相談相手で伴走者でもある弁護士を目指す書生の佐田優三、そして明律大学の教員で、女子教育の推進者である穂高重親(ほだかしげちか)。
このような、初めからの理解者たちだけではない。本科の同級生の花岡悟のように、当初は女子学生たちを見下していたものの、それが自らの内面の問題であったことを同級生の轟太一に諫められて気づき、反省し、よき助力者へと姿を変える男性もいる。
寅子を、そして自分の人生を自分の手で選ぼうとしている女性たちを陰になり日向になり支えるこのような男性たちの人物造形は、これまでにないものだ。第30話、高等試験合格祝賀会で寅子が見事なスピーチで述べる、「男か女かでふるいにかけられない社会」の実現のためには、このような男たちが不可欠だと、まずは感じさせてくれる。
以上のような評価に、世の中の男性たちがみな同意すると考えるほどに私は素朴ではない。人物造形のリアリティという水準と、そのような新しい男性性への疑念という2つの水準で、疑念を抱く向きもあるだろう。
もちろんこの作品はそんなことは分かった上で作られている。例えば話題を呼んだ、寅子たちを「魔女」と呼んで冷やかす明律大学法科の男子学生たちは、彼らがもし現代の視聴者であればこのドラマを素直に観ることはできないような男性たちである。