朝ドラこと連続テレビ小説『虎に翼』(NHK)が半年の放送を終えたが、主要な役で出演していた松山ケンイチが一気見をはじめ、Xに感想をポストしてロス解消に一役買っている。いったい彼はなぜそんなことをはじめたのか。そうするだけの何かが『虎に翼』にはあったのか。改めて『虎に翼』について振り返ってみたい。

松山ケンイチさんの公式Xより9月29日の投稿

初回放送からヒットの予兆は確かにあった

「朝ドラは『虎に翼』以前と以後に分かれることになるであろう」。朝ドラこと連続テレビ小説『虎に翼』がはじまったとき、このような予言をSNSで誰かがしているのを見かけた。はじまったばかりでのそれほどの高評価は、まるで「◯◯史上最高傑作」みたいな宣伝用の惹句のようでもあるが、最終回を迎えたいま、はたしてその予言は当たったのか。それは後述するとして、そうかもしれないという熱を帯びた予感は確かに初回からあった。

 まず、関わった作品をすべてヒットさせてしまう米津玄師による主題歌『さよーならまたいつか!』が、やっぱりヒットの予兆を感じさせるに足るものであった。かくいう筆者も初回のタイトルバックでいきなり涙して、某ラジオ番組で熱弁をふるってしまったものである。

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米津玄師公式YouTubeチャンネルより「米津玄師 - さよーならまたいつか!「虎に翼」OPタイトルバック・フル」

 第1回を見て多くの視聴者が思っただろう。『虎に翼』とは、長年抑圧され踏みつけられてきた“私たち”の物語であると。主題歌の歌詞のごとく、『虎に翼』は抑圧の原因に向かって唾を吐こうとしていた。唾を吐くという行為は汚く乱暴に見える。だがその心は限りなく澄んでいる。そう米津玄師の歌声が示してくれていた。

 また、のちに発表された2番目のBメロにあった「地獄」と「春」を並べた詞は、シェイクスピアの言葉「きれいは汚い、汚いはきれい」のような世の摂理を思わせた。劇中、「地獄」と最初に発したのは主人公・寅子(伊藤沙莉)の母・はる(石田ゆり子)であり、最終回でも「どう、地獄の道は?」と問うていた。

 この物語には、虫が羽化するときのような、くしゃくしゃに丸まった湿って柔らかい羽を、誰にも頼らずたった一匹で全身全霊の力をこめてぴんと伸ばしていく、長い時間と苦闘のすえの飛翔がある。

朝ドラは失いかけた信用を取り戻した

 日本ではじめて女性の弁護士・判事・裁判所所長となった三淵嘉子さんをモデルにした『虎に翼』の主人公・猪爪寅子(のちに佐田寅子)は、1914年(大正3年)、海外勤務も経験したエリート銀行員である父の長女として生まれた。少女の頃から聡明で弁が立ち、なぜいまの社会は男女が不平等なのか疑問に思う。結婚した女性は「無能力者」とされ、家事を夫に代わって取り仕切る以外に、自分で選択して行動できないと法で定められていることを知った寅子は、「結婚は罠」だから結婚なんかするものかと思うようになる。