軽井沢駅前からまっすぐ北に向かって伸びているのは軽井沢本通り。15分ほど歩くと、軽井沢の町中でいちばん最初に市街地として発展した旧中山道の宿場町、すなわち“旧軽井沢”の町並みへ。軽井沢を代表する観光エリアになっていて、平日であっても人通りは絶えない。
賑やかな旧軽井沢に眠る廃線跡
軽井沢駅前と旧軽を結ぶのは、いまではだいたいがバスか徒歩だ。ただ、かつては草軽電鉄も旧軽を通っていた。線路は軽井沢本通りと沿うように、そのすぐ東側。一部は道路になって残っているが、こちらも廃線跡と思えるようなところは見当たらない。古い地図と照らし合わせれば、旧中山道、旧軽の商店街も横切っていたはず。その痕跡も、いまは完全に消え失せている。
旧軽の脇からは、三笠通りという大通りがまだまだ北に続く。旧軽近くはまだ商店なども目立つが、少し歩けば完全なる別荘地だ。軽井沢は古くから別荘地として栄えた町。三笠通り沿いの木々の中に、いまも「別荘地・軽井沢」の雰囲気は色濃く残っている。
“ラストエンペラー”が泊まった歴史あるホテルが現れ…
この三笠通りにも、草軽電鉄は並行していた。森の中に入って、三笠通りは高さの違う2車線道路になる。もしかすると、このうちの片方がかつての草軽電鉄の廃線跡なのかもしれない。ただ、本当にそうなのか、それとも違うのか、それを推し量るようなものも残っていない。
草軽電鉄の廃線跡は、三笠通りの途中で西に曲がり、別荘地の中に入ってゆく。廃線後に別荘地が開発されたことで、痕跡もろとも消え失せた、ということか。かつて三笠駅があったその場所の近くには、明治の末頃に建てられたという旧三笠ホテルがある。
渋沢栄一や乃木希典、“ラストエンペラー”愛新覚羅溥儀も宿泊したという“軽井沢の鹿鳴館”。草軽電鉄も、三笠ホテルへの足になっていたのだろうか。