梶原一騎が描いたアントニオ猪木夫妻襲撃事件
シンのほかに、帯同していた外国人選手2人が襲撃に加わったのは事実だったようだが、すぐにパトカーが駆けつけたわけではないという。原作によれば、シンは現場に到着した警察官に向かってこう言い放った。
〈よう、ポリス諸君!! 諸君とはケンカせん、留置所ぐらしが長引いては、イノキをブッ殺すチャンスを失うからな!〉
実際にはシンが撤退する前に警察は来ていないのだから、多分、そんなことは言ってないだろう。ただ、梶原先生はこの事件を次のように総括している。
〈これが有名な「アントニオ猪木夫妻・新宿襲撃事件」である!! 古いプロレス記者・鈴木庄一氏はいう……「世に悪役の数はおおいが、シンとブッチャー、この二名だけは商売用の悪役でなく心底から人間を呪っている悪魔だ!! アメリカでもレスラー同士の街頭のケンカの例はあるが、相手が夫人づれ、かよわい女性と一緒だったら絶対に遠慮する。」〉
鈴木庄一さんは、日刊スポーツで長く記事を書いていたプロレス記者の草分けの一人で、梶原先生と鈴木さんは80年代に雑誌などで対談していたこともあったから、親しい関係だったことは間違いないだろう。
梶原先生は、少なくとも『列伝』においては編集者に細かい資料を要求したり、事実関係を調べさせたりということはなかったので、こうした史実に関することについては旧知のプロレス記者や、ユセフ・トルコさんなど周辺の関係者からレクチャーを受けていたのだと思う。
後に定着する猪木の「ストロングスタイル」というフレーズは、『列伝』のなかにも出てくる。この言葉の考案者は鈴木庄一さんとされているから、おそらく梶原先生は鈴木さんの言説を、さまざまな作品のなかに取り入れていたのだろう。