1980年代前半、『週刊少年サンデー』に連載され、少年たちの心を鷲掴みにした漫画『プロレススーパースター列伝』(原作・梶原一騎)。ファンタジーと実話の融合が魅力の一つだったこの伝説的作品の制作秘話を、作画を担当した原田久仁信氏が『「プロレススーパースター列伝」秘録』で初めて明かした。ここでは一部抜粋し、ブッチャーとブラック・タイガーが新幹線で大立ち回りを演じた事件の真相に迫る。(全2回の前編/続きを読む)
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全体的にセリフが長かった『列伝』
『列伝』のタイガーマスク編が始まったのは、佐山タイガーのデビューから約1年後のことだったが、ストーリーの進行と現実にリングで起きていることの時系列はだんだん接近し、やがて『サンデー』の連載は、タイガーの試合をニュースのように扱うような状況に突入した。
タイガーの刺客、ブラック・タイガーの日本デビュー戦(蔵前国技館)は1982年4月21日。だが、そのシーンは早くも5月上旬、『列伝』の連載で再現されている。いまでも覚えているのは猪木の長すぎるせりふ回しだ。
〈ム……ムッ…………だが、正体さぐりをやっとっても勝負に勝てん! タイガーがブラックとやる4月21日、ブッチャーとぶつかる藤波よッ、二人で練習試合だ‼〉
全体的にセリフが長い『列伝』だが、このときはさすがに「藤波、タイガー、リングに上がれッ」くらいでは済まないのだろうかと思ってしまった。当時はあまりにも現実と漫画がシンクロしていたため、少年読者のために、いろいろ状況の説明が必要になっていたという事情もあったのだろう。
蔵前国技館におけるタイガーマスクとブラック・タイガーの初対決は両者リングアウトの引き分けに終わった。だが、内容面はブラックの優勢を印象付けるもので、ここからしばらく、タイガーとブラックの抗争が続くことになる。