ノンフィクション作家の山川徹さんは、駆け出しライターだった頃に出会ったテーマが捕鯨だったという。2022年、捕鯨船に乗り込み船員らにインタビューを敢行。船員の家族たちはどのような思いで帰りを待っているのだろうか。『鯨鯢の鰓にかく』(小学館)より一部を抜粋して紹介する。(全2回の1回目/後編に続く)
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捕鯨は未知の仕事
「ダイビングが趣味だったので、イルカやクジラが大好きだったんです。だから、はじめて捕鯨船に乗っていると聞いたとき、『ええっ! あのクジラを捕ってる人なの』って驚いちゃって。結婚前は、捕鯨について考えたことなんてなかったんです」
津田玲は、夫の仕事をはじめて知ったときの記憶をおっとりとした口調で振り返り、「いえ……」と語り直した。
「主人と出会うまで、私はどちらかというと捕鯨に反対する人に近い考えを持っていた気がします。漠然とですが、日本の捕鯨って、クジラをどんどん捕っているイメージがあったんです。でもいろいろ聞くと、きちんと頭数を調べて、数が減らないように捕っているとわかって、なるほど、そういう仕事なのかって」
津田憲二の五歳年下の玲は、一九八四年生まれ。次の彼女の言葉は、クジラや捕鯨に対する同世代の一般的な意識かもしれない。
「大砲で銛を撃ってクジラを捕ることも知りませんでした。まさか竿じゃ釣れないだろうから、網で捕まえるのかな、と。それくらい捕鯨について知りませんでしたから」
鯨肉が食卓から遠ざかった世代である。捕鯨にゆかりがある地域の出身でもない限り、捕鯨について考えたり、鯨肉を口にしたりする機会はほとんどなかったに違いない。神奈川県相模原市出身の玲にとっても、捕鯨は未知の仕事で、鯨肉は縁遠い食品だった。
「捕鯨という仕事が好きなだけじゃなくて…」
二人が出会ったのは二〇〇九年春。当時、玲は自動車を運搬する船会社で航海士として働いていた。三級海技士の国家試験を受験するために、二人は広島県尾道市の尾道海技学院で講習を受けたのだ。
二人には、自動車やバイク、船などの乗り物が好きという共通の趣味があった。何よりも、津田が南極海で撮りためた写真が、二人の距離を一気に縮めるきっかけとなった。
玲も写真が趣味で、ダイビングのたびに水中カメラでイルカの撮影をしていた。
津田のiPodに保存された、南極海の美しい景色やパックアイスを縫うように泳ぐクジラが、玲の心を打つ。
「クジラの写真を見て、主人は捕鯨という仕事が好きなだけじゃなくて、クジラという動物も本当に好きなんだと感じたんです」