きょう5月27日は元首相・中曽根康弘の100歳の誕生日である。

 日本の首相経験者で100歳に達したのは、1990年に102歳で亡くなった東久邇稔彦(1887年生まれ)に続き、史上二人目だ。ちなみに東久邇は終戦直後に大命を拝して首相となったものの、54日間とわずか2カ月足らずで辞任しており、在任期間では歴代最短である。これに対し中曽根は、1982年11月から5年間の長期にわたり政権を担当した。

もう一人の100歳を越えた首相経験者、東久邇稔彦 ©文藝春秋

「角影内閣」と揶揄されたことも

 1918年、群馬県に生まれた中曽根は、東京帝国大学(現・東京大学)卒業後、1941年に内務省に入省。終戦は海軍主計中尉として迎えた(終戦後、少佐に昇進)。衆院議員に初当選したのは1947年4月、新憲法下で初めて行なわれた総選挙でのことだった。

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 議員同期には、同じく民主党から出馬した同年同月生まれの田中角栄がいた。のち1972年の自民党総裁選では、中曽根は立候補を断念して田中支持に回り、田中内閣の誕生におおいに貢献することになる。

5年間もの長期にわたり政権を担った ©杉山拓也/文藝春秋

 その10年後、今度は中曽根が、党内最大派閥を率いる田中の後ろ盾を得て首相の座に就いた。当時、田中はロッキード事件の刑事被告人の立場にあったが、なおも大きな政治的影響力を持ち、それゆえ中曽根内閣は発足当時、「田中曽根内閣」「角影内閣」と揶揄されたりもした。

果たせなかった、憲法改正

 しかし、政権を継続するなかで、国鉄はじめ3公社の民営化に取り組むなど独自色を発揮、徐々に田中の影響下から脱していった。若手議員時代から主張していた憲法改正は、首相在任中こそ果たせなかったものの、退任後も執念を燃やし続けた。

2003年、小泉純一郎に引退を勧告された ©文藝春秋

 だが、85歳になっていた2003年の総選挙を前に、当時の首相・小泉純一郎より引退を勧告され、最終的に受け入れる。