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孫へ伝えた“帝王学”とは?

 議員引退にあたって地元の後援会を前に最後の演説を行なった中曽根は、《私は議員は辞めるけれども、政界は引退しない。私は引き続いて国際的、国内的な政治行動を続けていく》と、「生涯現役」の信念を口にし、《国家のため命を捧げる》と結んだ(服部龍二『中曽根康弘 「大統領的首相」の軌跡』中公新書)。

 その言葉どおり、引退後も超党派の自主憲法期成議員同盟の会長などを務め、旺盛な活動を展開してきた。

 昨年10月の総選挙では孫の中曽根康隆(参院議員の中曽根弘文の息子)が35歳で初当選をはたした。康隆は学生時代、同居する祖父の中曽根が玄関に置いておいた本や新聞記事を読み、それらについて感想を伝えるのが日課だったという(『正論』2018年2月号)。それは中曽根なりの“帝王学”であったのかもしれない。

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野村克也監督の1500勝、名誉監督就任を祝う会で演説する中曽根康弘 ©近藤俊哉/文藝春秋

学生時代から続けている俳句と、長寿の秘訣

 中曽根は93歳のとき、白澤卓二との対談で《気は長く、酒は微醺(びくん)で無理をせず、睡眠十分、腹立てぬこと》と自らの信条を語っている(『文藝春秋』2011年11月号)。対談ではこのほか、若いときから続けている坐禅、和食中心の食事、静養先でのゴルフや散歩、そして規則正しい生活と、長寿の秘訣をあげた。

《人生はいよよ尊し風薫る》とは10年前、卒寿を迎えた際に詠んだ一句である(『中曽根康弘句集 二〇〇八』北溟社)。俳句は学生時代より始め、政治家になってからも折に触れて詠んできた。

俳人・金子兜太と俳句対談もしていた ©近藤俊哉/文藝春秋

 先に引用した93歳のときの対談では、最近は「詠もう」と思ってつくることはなくなったものの、《何かの拍子にふと浮かぶことがあるので、そんな時は手近なところに書き留めておくという感じですね》と語っている。はたして中曽根は100歳となってどんな感慨を抱き、その思いを句に託すとすれば、どのような言葉を紡ぎ出すのだろうか。