11月22日に49歳の誕生日を迎えたaiko。メジャーデビューから26年が経った今もなおヒット曲を生み出しつづけ、年末には5年ぶり15回目となる紅白への出場も決まっている。

 デビュー当時から変わらない制作スタイルや、ライブに懸ける熱意とは。昨年はインディーズ時代から仕事をしてきた“育ての親”の元プロデューサーが逮捕され、裁判に出廷したaikoは「すべてにおいて洗脳されていた」と証言した。その真意は……。(全2回の2回目/はじめから読む

「相思相愛」(ポニーキャニオン)

◆◆◆

ADVERTISEMENT

 aikoのライブは、特徴的なコール&レスポンスが恒例となっていたり、観客から集めた言葉を即興で詞にして歌ったりと、ステージと客席が双方向なやりとりにより盛り上がることでファンのあいだではおなじみである。ライブが終わってから、そのまま宿泊先のホテルに戻って曲をつくることもよくあるようだ。そこでは、その日《会場にいたひとりひとりと一対一で繋がっていることを信じてがんばろうと思いながらいつも歌詞を書いています。その思いは、ライブを重ねるたびに強くなっていくんです》という(『SWITCH』2013年9月号)。

「ひとりひとりと一対一で繋がっている」という思いはaikoの音楽活動のベースとなっている。それは次の発言からもあきらかだ。

《歌については、歌を歌う以上、聴いてくれるその人のそばにいたいとずっと思ってきました。その人のために一生歌いたい、というか。パーティーでみんなで聴く歌じゃなくて、学校帰りや会社帰りに電車の中で聴いてくれる歌を書こうって思って、ずっと今も続けています。私自身がそうやって音楽を聴いてきたし、支えられてきたので》(『別冊カドカワ 総力特集 aiko』KADOKAWA、2014年)

ライブでのaiko(「キラキラ」from Live Blu-ray/DVD『ROCKとALOHA』/aikoのYouTubeチャンネルより)

部屋にこもってラジオばかり聴いていた

 そこにはラジオを聴いてきた体験も大きいようだ。小学生のころ家庭の事情から親戚の家に預けられたが、生活習慣になじめないので、高校を卒業するぐらいまで家にいるときはずっと部屋にこもってラジオばかり聴いていたという。

aikoの公式Xより

 デビュー前の1995年にティーンズ・ミュージック・フェスティバルで優勝した直後には、エフエム大阪のプロデューサーから誘われて局へ番組見学に行ったのをきっかけに、自身でも深夜番組を担当するようになる。これが人気を集めたことから、他局でも出演番組を持ち、関西地区ではすっかり“ラジオの女の子”として知られるようになっていた。