自ら大阪のレコード店をまわった
メジャーデビューしたときには、彼女が出演していたラジオ各局でDJ仲間が曲をヘビーローテーションになるほどかけてくれた。#1に記したとおりデビューシングル「あした」が大阪のレコード店で1位になったのも、かつてインディーズ時代に彼女自ら店をまわり、CDを置かせてもらうなかで顔見知りになった店員たちが「あのaikoちゃんがデビューしたんやから」と自主的にコーナーをつくってプッシュしてくれたおかげであった(『日経エンタテインメント!』2000年5月号)。
ただ、彼女がデビューした1998年をピークとして、音楽業界全体でのCD売り上げは徐々に落ちていった。aikoも自分の曲が思うように売れなくなり、周囲の人たちはそれを慮って不況だからしょうがないと言ってくれるが、それでも売れている曲はあると思い、かえって落ち込む……という悪循環に陥っていたらしい。そんななかで救いとなったのがやはりライブだった。《こんなこと直接話したことはないけれど、デビュー以来ずっと一緒にやっているプロデューサーは、私にライブをやらせることで上手く心のバランスが取れるようにしてくれていると思うんです》とは、10年ほど前の彼女の発言だ(『SWITCH』2013年9月号)。
プロデューサーが逮捕・起訴され…
そのプロデューサーはaikoがデビューして以来その活動全般を取り仕切ってきた。だが、2019年、レコード会社の社員でありながら彼女の個人事務所の役員も務めていたことが発覚し、会社から背任の疑いを持たれ、論旨退職の懲戒処分となった。さらに昨年(2023年)には、今度は彼女の事務所に対する背任容疑から逮捕・起訴されている。容疑の内容はツアーグッズの仕入れ価格の水増し請求と、もし事実とすれば、ファンとの交流を何より大事にしてきたaikoにとっては最大の裏切りであり、ショックだったに違いない。