大ヒット曲『さくらんぼ』をはじめ、『SMILY』、『プラネタリウム』など、これまで数々の楽曲を世に生み出してきたシンガーソングライターの大塚 愛さん(39)。デビューから19年、常に第一線で活躍しつづけてきた大塚さんですが、当初は“素の自分”と“世間のイメージ”とのギャップに悩んだ時期もあったと言います。
「笑顔咲ク 君とつながってたい」と明るく元気に歌っていた大塚さんが、その裏で感じていた“苦しさ”とは――。お話を聞きました。(全2回の1回目/後編に続く)
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――大塚さんは2003年、21歳のときにデビューされました。改めてそのきっかけについて教えて下さい。
大塚 きっかけはデモテープです。短大生の頃にエイベックスに送ったものが、関係者の方の目に留まって。
――デビュー前から既に何十曲も楽曲を作られていたそうですが、小さいときから音楽は身近な存在だったんでしょうか。
大塚 ピアノを4歳からやっていて、音楽はそこからですね。歌の方も、中1ぐらいからボイトレをやってました。
――そこから2003年、まずは『桃ノ花ビラ』でデビューされて、3ヶ月後には『さくらんぼ』をリリースされています。デビュー直後、早い段階でヒット曲に恵まれたことで、テレビへの露出なども一気に増えていったかと思いますが、当時はどんな心境でしたか?
大塚 ホッとしたと同時に、自分の実力不足と向き合うことにもなりました。喜びと苦しみと、ごちゃまぜな感じでしたね。
「やっぱりレベル違ったな」って
――実力不足というのは?
大塚 デビュー前は、ただ「曲を作りたい!」「楽しい!」という気持ちだけでやっていたんです。でも、結果が見えてくるようになると、そこからどうしても逃げられない部分があって。やっぱりライブだったりテレビだったり、デビューしてからは自分を客観的に見る場面が多くなったので、一気に自分自身と向き合う時間が増えたというか……。
後から映像をチェックするたびに、ああ、全然ダメだったなって落ち込むことも多かったですね。他のアーティストの方と番組でご一緒させていただいても、「やっぱりレベル違ったな」って。それは最初からずっと感じています。
――そういうときに、例えば「あの人には負けたくない!」と思ったりは?