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友人たちをメイドカフェに連れて行ったことも…

 加藤は時に、期間工の友人たちを伴って事件を起こした秋葉原へと足を運んだこともあったという。その時は得意気にメイドカフェなどを案内したという。加藤にとって、非日常的ともいえるメイドカフェの空間は、彼にとって重い日常を忘れさせてくれる唯一の場所だったのかもしれない。気軽に踏み込める空間であった秋葉原、それ故に事件を起こす場所は、新宿でも渋谷でも池袋でもなかった。

 工場を辞め事件を起こそうと決意した時、彼は己にかかわる全てのものを壊したかったのだと思う。何をやってもうまくいかないことへの憂さを晴らす。好きな場所であった秋葉原をも己の中で破壊することによって、すべてをリセットすることができるのはないかと考えたのではないか。

加藤がトラックで突っ込んだ交差点(撮影:八木澤高明)

 それゆえに彼は秋葉原の歩行者天国へとトラックで突っ込んだ。あの日、彼がトラックで突っ込んだ交差点に足を運ぶと、事件の被害者を弔う花束が未だに置かれていた。

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 裾野市を後にして、あの日トラックで秋葉原へと向かった東名高速を私も走っていた。どんな思いでハンドルを握りしめていたのか、途中で思いとどまるという選択肢はなかったのか、あの日もくっきりとした青空が広がり、左手には富士山が見えていたことだろう。しかし加藤の目には富士山も、山里の風景も何も映っていなかったことだろう。この東名高速は秋葉原の交差点へと真っ直ぐに繋がっていた。曲がりくねった人生を送ってきた男は、人を殺すということにおいて、何の迷いもためらいもなかった。