殺害した人間の数は7人…2008年、秋葉原で平成最悪の通り魔事件を起こした加藤智大(2022年に死刑)。銀行員の両親と暮らし、県下有数の進学校に通い、加藤も両親もすべてが順調に日々の生活を営んでいたはずの青年はどこで道を外したのか? ノンフィクション作家の八木澤高明氏の新刊『殺め家』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

殺された7人に向けられた花とアニメキャラクターのポスター ©getty

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「貧しさがいけなかった」

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 1968年から69年にかけて4人を殺害した永山則夫は事件を起こした原因を問われ、そう答えた。高度経済成長期に差し掛かっていた当時の日本には、人々の生活の中に明るい兆しが見えはじめてはいたが、まだまだ貧富の差は目に見えてあり、永山は少年時代から漁港に捨てられた小魚を拾って食べるなどしていた。

 事件には、個人の性格が事件に起因していることは勿論だが、生活環境の悲惨さも関係していたことは否定できない。

「何であんな事件を起こしちまったんだろうね」

 そんな永山と同郷である秋葉原連続無差別殺傷事件を起こした加藤智大、永山の事件から40年以上が経ち、漁港の魚を拾って食事にするような少年の姿はほぼ見られなくなった今日の日本。経済的な豊かさは日本中に行き渡っている。それでも犯罪は無くなることはなく、むしろ陰湿化している。加藤の起こした事件には、永山則夫の事件のような明確な背景が見えてこない。私は心の中にもやもやとした気持ちを抱きながら、青森市内にある加藤被告の実家周辺を歩いてみた。

 青森市内の閑静な住宅街の中にある加藤の実家は大通りに面し、すぐ側を八甲田山から青森湾に注ぐ川が流れている。かつて訪れた永山則夫が暮らしていた長屋とは大違いの住環境である。銀行員の両親と暮らし、県下有数の進学校に通い、加藤も両親もすべてが順調に日々の生活を営んでいた筈だった。

「何であんな事件を起こしちまったんだろうね」

 畑仕事をしていた近所の老婆がため息交じりで言った。以前は畑が広がる農村地帯で福田村と呼ばれたこの地区が宅地開発され、加藤の一家が引っ越して来てから、傍目には何の問題も無い一家に見えていた。

逮捕直後の加藤智大死刑囚。2022年7月26日、死刑が執行された ©文藝春秋

 しかし、加藤には日々満たされた生活であった故に、一つの歯車が狂いだすと、世の中に対する鬱屈した気持ちが折り重なるように心の中に堆積していった。

 高校入学後、成績が下降線を辿った加藤は大学進学を諦め、自動車に興味を持っていたこともあり岐阜県内にある自動車整備を学ぶ短大に進学する。短大卒業後に仙台市内で警備員、茨城県内で自動車工場など非正規の仕事を転々とする。事件を起こす直前まで働いていたのもトヨタ自動車の製造工場の期間工だった。