2008年、秋葉原で平成最悪の通り魔事件を起こした加藤智大(2022年に死刑)。銀行員の両親と暮らし、県下有数の進学校に通い、トヨタの期間工として働いていた男はなぜ7人も殺害する犯人になってしまったのか? 彼の人生を追った、ノンフィクション作家の八木澤高明氏の新刊『殺め家』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)

犯人・加藤が2008年、送検されたときの加藤智大氏 ©文藝春秋

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「秋葉原通り魔事件」犯人男の職場

 東名高速を都心から車で2時間ほどで富士山を真近に眺めることができる裾野インターに着く。

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 私が訪ねた日も雪をかぶった富士山がきれいに見えた。裾野インターを降りて数分で加藤が働いていた工場が見えてくる。この工場では大衆車から最高級車まで様々な車種の車が作られているが、最高級車が作られるラインは、資格を持った者だけが受け持ち、加藤被告のような期間工は大衆車を作るラインを任されていただろうと、以前この工場で働いていた男性が言う。

 工場内における目に見える格差も加藤の心の中に暗い影を落としていたのではないか。工場から更に車を10分ほど走らせると、加藤が暮らしていたマンションがある。派遣会社が借り上げていて、そのマンションから日々工場へと通った。加藤が暮らしていた部屋には、既に他の期間工が入居しているのだろう。

 郵便ポストには、宅配ピザのチラシが挟まれ、部屋の電気のメーターがゆっくりと回っていた。加藤被告の部屋のある廊下からは工場と同じように富士山がきれいに見えた。マンションの付近には、畑も広がりその中に一軒家が建っている。雄大な富士の眺めも、日々の生活に不満を募らせていた加藤にはまったく目に入らなかったことだろう。

 日々車を作り続ける単調な労働、どの部屋も画一的な造りのマンション、ひとりの労働者がいなくなっても、常にどこからか人を補充して、工場は稼働を続け、このマンションにも常に労働者がやって来て、皆同じような日々を送る。まさしく、加藤と同郷のルポライター鎌田慧が記した『自動車絶望工場』と同じ世界が今も存在し続けている。

 鎌田慧は日々の労働の中から秀逸なルポを編み上げたが、加藤は更なる絶望の深みの中へと沈んでしまった。すべての責任は己の行動から発しているのだが、彼は工場の歯車でしかない自分の姿に対して、不満を募らせ続けていた。