数々の女性と浮名を流し、最盛期には「11股をしていた」とも報じられた俳優・火野正平(本名・二瓶康一)が11月14日、この世を去った。享年75。誰からも愛された元祖プレイボーイの“モテ極意”とは――。

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世間の耳目を集めた数多の女性との熱愛報道

「火野さんは今年4月から持病の腰痛治療に励んでいましたが、夏に腰部を圧迫骨折したことで体調が悪化。最期は都内の自宅で家族に見守られ、穏やかに旅立ちました」(芸能デスク)

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 東京都出身の火野が役者として注目されるようになったのは、1973年のNHK大河ドラマ「国盗り物語」の木下藤吉郎役だった。

「以後、火野さんは時代劇や任侠物などを中心に多くのドラマや映画に出演していくのですが、それ以上に世間の耳目を集めたのは、数多の女性との熱愛報道でした」(同前)

 

 火野は70年に幼馴染の女性と結婚し、一男一女をもうけている。だが、新婚早々に女優の新藤恵美との不倫が発覚。これ以降、様々な女性との関係が報じられていくことになる。

 芸能記者が解説する。

「女優の小鹿みきとは同棲、別居を繰り返しながらも5年ほど付き合い、その間に(きの)比呂子との熱愛がドライブ中の交通事故により発覚。アイドルのホーン・ユキや歌手のりりィ(故人)など、様々な女性との関係が取り沙汰されてきました」

モテモテだった火野

最初に結婚した奥さんとの籍を最後まで抜かなかった理由

 78年に交際を報じられた女優の望月真理子(故人)との間には婚外子も生まれている。芸能記者が続ける。

「それでも火野のスキャンダルは収まらず、81年3月に西川(現・仁支川)峰子、同年6月に一般女性との交際が報じられた」

 この一般女性が最期を看取った“内縁の妻”で、火野との間に2人の子供をもうけている。

「その後も火野は数々の女性と噂になりましたが、不思議と最初に結婚した奥さんとの籍は最後まで抜かなかったようです」(同前)

 一体なぜなのか――。

「正平はまっすぐで優しい男ですからね」

 そう語るのは、火野と50年来の付き合いがある映画プロデューサーの山本又一朗氏である。