榎田大樹が、埼玉で大暴れしている。開幕前の3月14日に岡本洋介とのトレードで西武へ移籍すると、4月中旬からは、先発ローテーションに定着。すでに4勝をマークするなど、わずか1カ月半でチームに欠かせぬ存在にまで登り詰めた。
昨年は3試合の登板に終わるなど「超変革」の波に乗り遅れた感のあった左腕が、突然変異のごとく白星を量産。スカイブルーのユニホームで躍動する左腕を見て、さぞかし虎党の方々は、複雑な心境だとは思うが……虎にも大きく変貌を遂げたトレード組がいる! と、強調しておきたい。
金本監督が惚れ込んだ男
桑原謙太朗は、08年に横浜ベイスターズ(現DeNA)に入団し、10年にトレードでオリックスへ移籍すると、14年に白仁田寛和との交換で阪神へやってきた。2度のトレードを経験し、3球団を渡り歩いてきた三重出身の苦労人は昨年、突如として球界トップクラスのリリーバーへと進化を遂げたのだった。
タテジマに袖を通しての2年間は1軍でわずか6試合の登板。「結果を出せなければ終わる。そういう世界なんで、クビを覚悟していた」と腹を括った17年に、本人も想定外の大きな転機が訪れた。キャンプから2軍暮らしを続けていた中、開幕直前に1軍に昇格すると、実戦で好投。打者の手元で鋭角に曲がっていく「真っスラ」に金本知憲監督が惚れ込んだ。
実は、横浜時代に先発登板した08年8月16日に現役時代の金本監督が中軸にいた阪神打線と対戦して完封勝利をマークしていた。この日が通算2000試合出場の節目だった主砲は試合後に「桑原は良かった。すべてのボールが動いていた」と語っている。当時の記憶が残っていた指揮官は迷わず、開幕ロースターに「桑原」の名を書き記し、本人にも「お前の球は打ちづらかった」と伝えた。
千載一遇のチャンスをわしづかみするように、桑原は必死に腕を振った。これまで1度も年間通して1軍で活躍できず、戦力外を覚悟していた男が、チームトップの67試合に登板し、防御率1.51。同僚のマルコス・マテオと並んで43ホールドポイントを挙げ、初のタイトルも手にしたのだから、榎田に唇を噛んでいる虎党も“桑原の大逆転劇”に溜飲を下げていただきたい。