2018年のセ・パ交流戦が始まりました。カープは地元でライオンズに1勝2敗、続いて千葉でのマリーンズ戦は、この原稿を書いている時点で1勝1敗のタイです。快進撃を見せた昨年と比べると一進一退ですがカープ人気は相変わらず高く、昨日も東京駅構内を京葉線にむかって意気揚々と進むカープファンを大勢見かけました。ビジターのカープファンが地元チームを圧するほど集まってスタンドを赤く染める光景は交流戦の風物詩です。
リーグ最下位だった観客動員
いつからカープはこれほどの人気球団になったのでしょう。筆者がカープファンになった1974年は観客動員リーグ最下位。翌75年は初優勝で赤ヘルブームを巻き起こし、前年の倍近い120万人を動員しましたが、それでも観客動員トップのジャイアンツに比べれば半分以下に過ぎませんでした。カープの観客動員はその後も100万人を超えたり割ったりでセ・リーグ最少が定位置。90年代、ジャイアンツ戦以外はガラガラだった旧市民球場をご記憶のファンも多いでしょう。
目に見える形で異変が起こったのはマツダスタジアムがオープンした2009年で、初めて観客動員180万人を突破。2014年は「カープ女子」が流行語大賞を受賞し、2015年にはついに200万人を超えました。この流れから見れば「近年のカープ人気は新球場のお陰」とも思われがちですが、筆者の印象では2006年くらいには既に関東の球場には女性ファンが目立ち、神宮や横浜のレフトスタンドが赤く染まり始めていました。新球場は観客増の大きな「きっかけ」ではありましたが、その下地はだいぶ前から出来ていた様に思えます。
「ストーリー」がファンの共感を呼んだ
その「下地」とはなんでしょう。僕は「ストーリー(=物語)」だと考えています。ここで言うストーリーとは「カープにまつわる様々なエピソード」のことです。「原爆の悲劇から立ち上がった市民球団」「樽募金」といった創設時の伝説を筆頭に「メジャーの大金を蹴った黒田の男気」「新井さんの帰還」など、古くは書籍やテレビ番組、近年はインターネットを通じてさらに活発にチームの情報や選手の日常などを発信し続けています。
また、何かあるたびに発売される限定Tシャツも物語を伝える重要なメディアとして活用されており、優勝や2000安打といったわかりやすい記念Tシャツはもちろん、「ブラウン監督のベース投げ」「石原捕手のサヨナラ死球」「鈴木誠也の神ってる」、果ては安部選手がヒーローインタビューで『覇気Tシャツを作って下さーい!』と叫んだ姿まで、大ネタ小ネタをこまめに素早く商品化しています。これは単に商品で稼ぐというだけでなく、ファンがエピソードを思い出し、記憶に積み上げていく役に立って来ました。これらの地道な作業がカープを巨大なストーリーの集合体に育てています。例え「にわか」ファンでもこういうストーリーなら素早く理解出来、共感することが出来ます。