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デビュー登板で話題となった日ハム・片岡篤史への一球

 今でも鮮烈に記憶しているデビュー戦は、99年4月7日、東京ドームでの日本ハム戦。開幕から4戦目。開幕投手は西口文也(現投手コーチ)で、豊田清(現巨人投手コーチ)、新谷博についで4番手扱いだった。でも、「東京ドームのマウンドの傾斜がダイスケ向きだったから」という東尾監督の思惑もあったようだ。投球内容は5回まで3四球も無安打。

 この試合で話題になったのが片岡篤史(現阪神ヘッド兼打撃コーチ)から155キロのストレートで空振り三振を奪ったシーンだ。マウンド上の松坂の表情は平然ながらも、片岡は「何だ、これ!」のあきれ顔。まさに「怪物」の称号が与えられるプロローグだった。結局、8回を投げ5安打、3四球、9奪三振、2失点で勝利投手となった。ちなみに2試合目を調べてみると、1週間後の近鉄戦で155球完投、2失点(自責点0)も味方の援護なく敗戦投手。私の記憶からは完全に消え去っている。そんなもんだ。

ルーキーイヤーに16勝をあげた松坂大輔 ©文藝春秋

 投手は次の回の投球準備のため、二死後(併殺のあるケースは一死後も)にベンチ前でキャッチボールを行う。通常、投手はベンチ前で相手は外野方向だが、松坂は逆。「打者を見る時に振り返らなくていいし、ファウル(ボール)が飛んできたときに避けやすいから」がその理由だ。ベンチサイドで取材していると、他の投手と違う光景が新鮮に映ったものだった。

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 プロ入団4年目の02年シーズン。チームは90勝49敗1分けで、ブッチギリのリーグ優勝を果たした。当然、松坂も大きく貢献したのだろうと思われがちだが、5月に右ヒジを痛め6勝止まり。ルーキーイヤーから3年連続二桁勝利を挙げていたが、本人もかなり悔しい思いをしたものだった。エースの離脱に他の投手陣が「ダイスケがいない分、頑張らないと」の気持ちが成績に表れたともいえる。それだけ存在感が大きかったのだ。

 ポスティングにより巨額の資金を得た球団は、球場改装でファンに快適な環境を与えることができた。できれば、このチームで最後のユニホームを着てもらいたかったのはファンの共通の思いではないだろうか。

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