衝撃的な体験であった。本当にこの作品が地方予選を勝ち抜き、各都道府県で知事賞に輝いた作品なのかと訝(いぶか)しむほど、どのポスターも画一的かつ没個性的で、コピペしたように似ていた。しかも、描かれている姿は、目が落ちくぼみ、頬がこけた、ゾンビのような薬物乱用者が、両手に注射器を握りしめ、口角からよだれを垂らして、まさに背後から子どもたちに襲いかからんばかり、という醜悪なものだったのだ。
病気の予防に「ダメ。ゼッタイ。」でよいのか
まるで戦時下の風刺画だと思った。敵国の人物を意図的に「悪人」風に醜く描くことで、人々の無意識に嫌悪感や憎悪、敵意を刷り込む、という洗脳法だ。だが、病気の予防は戦争ではない。あのポスターに描かれていたのは「薬物依存症」という病気の当事者だが、同じやり方を他の病気――例えばハンセン病やHIV感染症――の予防啓発で使えるだろうか? まず許されまい。
審査の場で私はこう思った。これら一連のポスターこそが、「ダメ。ゼッタイ。」普及運動の成果なのだ、と。なにしろ、子どもにとって薬物は身近なものではない。その無垢な心に一体どんな情報を与えたら、あのようなポスターができあがるのか。それは、推して知るべし、だ。
通常、健康問題の予防啓発コピーは毎年更新され、時代の価値観に合わせて表現や重視すべき理念に変更を加えるものだ。薬物とて例外ではない。実際、乱用薬物は様々に変遷し、乱用者の背景も変化する。30年あまり同じコピーを使い続けていること自体がナンセンスだ。
例えば、財団法人麻薬・覚せい剤乱用防止センター設立とともに、最初に「ダメ。ゼッタイ。」なるコピーが使われた1987年当時、薬物といえばシンナーと覚醒剤が二大乱用薬物だった。ところが、90年代後半にはシンナーは影をひそめ、その後しばらくは覚醒剤の一人勝ちとなった。そして2010年代には、危険ドラッグが社会問題となり、その乱用禍が沈静化すると、今度は大麻事犯者が急増した。ただし、依存症臨床現場から見ると、大麻患者は増加しておらず、単に警察が躍起になって逮捕しているだけで、むしろ近年とみに患者が増えているのは、多くの国民が使用経験を持つ、処方薬や市販薬の依存症、いわゆるオーバードーズだ。