トランプ政権が再び誕生する2025年、日本はアメリカとどう対峙すべきなのかーー。昭和史研究家の保阪正康氏は、少年期に敗戦を迎え、米兵と直接触れ合ったことが自身の米国観に少なからず影響したという。保阪氏が自身の思い出を起点にして、戦後の占領政策や「普遍的な民主主義」について考察した。
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少年期に接したアメリカ兵の記憶
日本全国に占領軍が進駐するようになり、私の育った札幌と函館の間にある八雲という街の風景のなかにも、アメリカ兵たちは自然に存在するようになっていった。毎日、広場の一角に数人のアメリカ兵がやってきた。戦場で戦った兵士だけではなく、部隊に付き添う教誨師もいたかもしれない。彼らは、紙芝居のようなものを見せてくれた。内容はおぼろげにしか覚えてはいないが、キリスト教に基づくヒューマニズムの物語であったのであろう。彼らが来ると、私たちは走って広場に向かった。チョコレートやチューインガムなどをくれるのである。また、時には小学校の各クラスに長靴が5足ずつほど支給された。くじ引きで当たったときは嬉しく感じた。衣服も履物も不足していた当時、それらはありがたい救援物資だった。この光景は、日本の至る所で繰り広げられた日米和解の構図であったであろう。それは、子どもの心にまで溶け込んできたのである。
こういった少年期の体験は、アメリカに対する恩義として私のなかに記憶されており、長じてからアメリカの負の面を批判するときに、アンビバレントな心理を形成していく。私の世代が日米関係について歴史解釈をしようとするときには、自らの根底にあるこの心理を対象化することが必要になってくるのだ。アメリカへの向き合い方は私と異なっていたが、西部邁も、「日本支援の『ララ物資』なんて話になると、俺たちは弱いんだ」とよく口にしていた。
アメリカへのアンビバレントな心理は、単に私の私的な思い出話であることを超えて、アメリカそのものの自己矛盾の反映であるとも言えた。