オウム真理教による地下鉄サリン事件から30年になる。事件の最大の責任が、教祖である麻原彰晃こと松本智津夫にあることは言うまでもない。ただ、教団はいきなり地下鉄で事件を決行したわけではなく、それまでにいくつもの事件やトラブルを起こしてきた。にもかかわらず、なぜ社会はこの団体の暴走を止められなかったのか。検証すべきことは多いが、ここでは主に(1)警察、(2)メディア、(3)知識人・文化人について取り上げ、宗教界、教育、政治、行政についても触れる。
反応が鈍かった初動捜査
まず指摘したいのは、坂本弁護士一家殺害事件(1989年11月)後の神奈川県警の初動捜査の問題だ。
実行犯らは、就寝中の一家3人を襲い、殺害後に遺体や布団などを運び去った。一行は、静岡県富士宮市の教団本部に戻った後、遺体を長野、新潟、富山の山中に別々に埋め、布団を焼却するなどの隠蔽工作をした。その間に、坂本弁護士の家族や法律事務所は異変に気づき、警察に届けた。同僚弁護士らは、直前にオウム幹部と坂本弁護士との間に緊迫したやりとりがあったことなどを説明し、捜索を急いで欲しい、と強く要請した。
ところが、同県警の反応は著しく鈍かった。教祖ら教団幹部は、警察から事情を聞かれることなく、何らのマークもされず、日本を出国。西ドイツ(当時)で、現場に指紋を残した可能性のある実行犯の指紋消去の証拠隠滅を行った。
埋めた場所の地図を県警に送りつけた
その後、実行犯の1人が教団を離脱し、坂本弁護士の長男を埋めた場所を示す詳細な地図を同県警に送りつけた。県警は、一応その場所を捜索したが、遺体発見には至らなかった。ところが、地下鉄サリン事件後の捜査で、遺体はまさに地図が示した通りの場所から発見されている。
当初の捜索が十分に行われ、遺体を見つけていれば、その後の捜査で教団の犯行が明らかになった可能性がある。ここで食い止めていれば、その後の松本・地下鉄両サリン事件など様々な被害を防げたはずで、本当に悔やまれる。