今から10年前の2014年、神奈川県川崎のある老人ホームで1ヵ月の間に3人もの高齢者が転落死した。被害者はすべて要介護、一人で動くのも大変な高齢者の転落死が相次いだ理由とは? そして事件が「迷宮入り」しなかった理由とは? ノンフィクションライターの高木瑞穂氏の新刊『殺人の追憶』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

要介護の老人たちが立て続けに転落死した理由とは…。写真はイメージ ©getty

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老人3人を転落死させた老人ホーム職員

「なんですか? 時間がないんですよ。17時半から歯医者なんで。撮影、やめてもらっていいすか? 帰りますよ。人の目もあるんだから」

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――施設の入居者3人が転落したときの状況は?

「いまはお話しできない。私の判断だけではそういう話はできないんですよ」

――誰かの関与も疑われています。

「関与がどういう意味かわからない」

――転落死が起きたすべての夜に勤務していましたよね?

「私が当直していたのは事実です。でも、なにも関与していないんですよ。現場に居合わせたという事実もありません」

――では、一連の出来事についてどう感じていますか?

「私の判断だけではなにも語れないんです。本当は言いたいこともあるんですが、施設との関係もあるし、しゃべれない」

――転落死を伝える報道を見て、どんな気持ちか。

「不安な気持ちがあります」

――不安とは?

「自分が疑われているのではないか、という不安です」

――なぜこんなことが起きてしまったのでしょうか?

「個人的には、転落事故は食い止められたんじゃないかと後悔しています。自分が関わっていた方々が亡くなってしまうなんて」

 これは、入居者3人を転落死させたとして殺人罪に問われ、後に死刑が確定した男による、逮捕前の答弁だ。男は当時、私が記者をしていた写真週刊誌『FRIDAY』で、一緒に取材で回っていた同僚記者からの質問に対して、終始落ち着いた口調でこう返していた。

 2014年9月初旬のことだ。短髪で小太り。特徴はひときわ目立つ黒縁メガネくらいか。どこにでもいそうな普通の青年は、このとき逮捕の瀬戸際に立っていたにもかかわらず、あるのは「自分が疑われている不安だけ」だと関与を否定し、焦りは微塵もみせてはいなかった。

 男は誰で、当初は関与を否定していたこととは何か。介護施設元職員の今井隼人(当時21歳)で、神奈川県・川崎市内の老人ホームで高齢の男女3人が相次いで転落死した事件である。

今井隼人 ©文藝春秋

 事件は2014年11月~12月にかけて起きた。現場は川崎市内の介護付き有料老人ホーム「Sアミーユ川崎幸町(※現在は名称が変更されている)」。京急川崎駅から歩いて10分ほどの場所に、その建物はある。

近隣住民は語る。

「老人ホームから怒鳴り合う声が聞こえました。その後、救急車両の音が聞こえて、気づけば下に人が転落していました」