2007年、イギリス人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさんを殺害したのち、2年7ヶ月にわたって逃亡を繰り返した犯人の市橋達也。凶悪殺人犯になる前の彼の人生はいったいどんなものだったのか? ノンフィクション作家の八木澤高明氏の新刊『殺め家』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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大学時代に現金を盗んで現行犯逮捕
旧街道沿いに落ち着いた日本建築の民家が建ち並ぶ、歴史の重みを感じさせるその雰囲気は、私の心を落ち着かせてくれたが、この街並みからほど近い場所が殺人者の育った場所だと思うと少々複雑な気分になる。旧街道沿いの木造家屋に混じって、ところどころ最近建築された家も建っているのだが、その中の一軒がイギリス人女性リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件の市橋達也(当時28歳)が暮らしていた家である。
両親が医師ということもあり、裕福な経済状況にあるのだろう、その家は立派でひと際目立つ。高校時代まで岐阜県羽島市にあるこの町で暮らした市橋は、その後に陰惨な事件を起こすことは誰もが想像できず、明るく闊達に過ごしていたという。
高校卒業後市橋は、医学部を目指して4浪したあと、千葉大学園芸学部に入った。大学時代に漫画喫茶で現金を盗んで現行犯逮捕されたり、同級生へストーカーをするなど、凶悪事件へと繋がる芽ともいうべきものが、萌芽しつつあった。
2009年、故郷を離れ、事件を犯すまで市橋が暮らした千葉県市川市内にあるマンションへと足を運んだ。付近は一戸建ての住宅やマンションが建ち並ぶ都心のベットタウンとも言うべき町だった。私が訪ねた時間が午後7時ということもあり、マンションには明かりが灯っている部屋が多かった。
その中にカーテンもなく、まったく人気のない真っ暗な部屋が目についた。市橋被告が事件を起こした部屋である。リンゼイさんの死体が放置されたベランダには何も置かれていなかった。どこか不気味さを感じさせる部屋からは、リンゼイさんの無念さが今でもひしひしと伝わってくるのだった。