リンゼイさんが個人レッスンのため市橋のマンションを訪ね、殺害された翌日、捜査員がすぐに市橋のマンションを訪ねるが、市橋は捜査員を振り切り2年7ヶ月に及ぶ逃亡生活がはじまったのだった。

殺されたリンゼイ・アン・ホーカーさん ©getty

 この逃亡生活を見た時に、昔から犯罪者たちが隠れた西成が今でも市橋の逃亡を支えたということが興味深かった。そもそも市橋自身が裕福な家庭で育ち、親のスネをかじりながら生活をしていた。どこで犯罪者の古典的な隠れ家というべき西成の存在を知り、潜伏しようと思い立ったのだろうか。

市橋の西成での暮らしぶりは?

 真冬の西成、段ボールにくるまり寝る男たちの姿もあるが、あまりの寒さに寝付けないのだろうか、当ても無く歩き続けている男たちの姿も目についた。自動販売機には1本、60円の文字も見えた。私も市橋が潜伏したであろう一軒のドヤに泊まった。1泊1500円。その値段の安さで最近では外国人のバックパッカーも多いという。ここでも市橋はナンパを試みていたという報道もある。

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 翌朝、早々にドヤを後にすると、働き手を探している建設会社のワゴン車が何台も止まっていた。ワゴン車の横に立っていた手配師の男が言う。

「最盛期は2万人の労働者がいたけど、今じゃ3000人ぐらいじゃないかな、住んでいるのはほとんど年金暮らしか生活保護だよ。NPOが2万円だけ渡して、10万円は懐に入れて、部屋をあてがう。東京からもどんどん人がきてるで、西成に来たら金が出ると言って、こんな状況だから誰もバカらしくて働かなくなるよ」

 日雇い労働者が西成にいたことにより、市橋はその人々の中にまぎれ込んだ。さらに手配師たちに話を聞いていくと、市橋を連れていった男に話を聞くことができた。

「俺が連れてって、俺がずーっと面倒見て来たんや」

次の記事に続く 休みの日は「飛田新地」に通っていたことも…イギリス人女性を殺害後「西成に逃げた」市橋達也(45)の生活ぶりとは(2007年の事件)