20代の頃は、日本人になりたくて仕方がなかった
岡村 どういう音楽を聴いて育ったんですか?
市川 もともとはクラシックなんです。4歳からバイオリンやっていたので。その後、60~70年代のクラシックロックを聴くようになって。クリーム、ビートルズ、レッド・ツェッペリンとか。
岡村 ご両親の影響ですか?
市川 父がロック好きで、ギターやバンジョーを弾いたりするので、私もバイオリンと同時にギターも習ったり。だから、スミスとかデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズなんかもよく聴きました。
岡村 お父さんがアメリカ人、お母さんが日本人。家では英語を?
市川 そうですね。
岡村 じゃあ、英語のロックの歌詞もバーンと入ってきます?
市川 はい。ですから、逆に日本語の歌詞はなかなか入ってこなかった。日本に来るまで日本語は得意じゃなかったので。
岡村 僕も5歳ぐらいまでイギリスにいましたが、たった5歳なのに結構引きずったんです、日本語がしゃべれないということを。「はつか」とか「ついたち」とかなかなか覚えられなくて。
市川 わかります。「はつか」はいまだにちょっとだけ緊張します、言う前に(笑)。
岡村 「ようか」とかね(笑)。楽しかったですか、アメリカの生活は? 日本と違って多民族国家じゃないですか。イギリスもそうだったんです。ヨーロッパの人たちだけじゃなく、インド・パキスタン系、中国系、アフリカ系。
市川 私はデトロイトという街にいたんですが、学校はユダヤ系がいちばん多かったんです。その次がアフリカ系。アジア系は、学年に私を入れて4人ぐらい。ほとんどいなかった。でも、自分がアジア系だと気づいてなくて、小学生の頃は。というか、自分が日本人という意識もなかったんです。
岡村 ということは、思春期は?
市川 アメリカです。
岡村 がっつりアメリカで育った。それで日本に戻ってくるとカルチャーがあまりにも違うでしょう?
市川 日本に「戻る」という感覚がまずなかったんです。親戚がいるので毎年日本へは遊びに来てましたけど。だから、「帰国子女」と言われたとき、意味がわからなかった。私、初めて日本に住むんだけどなって。なので、いまだに海外にいる気分です、私は。
岡村 自分の居場所ではないと?
市川 そういうわけではないんです。何でしょう、たぶん、私は日本好きの外国人なんです、言ってしまえば。ただ、20代の頃はずっと、日本人になりたくてなりたくて。でも、やっぱり自分はアメリカ人なんだなと開き直ったのが30になってからでした。