「ナベ、それはだめだぞ」
前澤の執筆した『表現の自由が呼吸していた時代──1970年代 読売新聞の論説』によると、読売新聞は紙面を挙げて「江川獲得」キャンペーンを展開した。論説委員会もその扱いについて討議する。委員たちはどんな論調の社説を載せるか、と悩んだのだろう。前澤はこう書いている。
〈討議の結果、「スポーツの世界は法律解釈や詭弁にとらわれず、ファンとフェアプレー精神を尊重すべきだ」という委員の多数意見に従い、江川獲得を支持するような社説は載せないことにした。
渡邉氏は、その後、編集局長より論説委員長のポストをねらい、半年後、それが実現する。そして、江川事件や論説委員人事などで渡邉氏の意向や“社論”に従わなかった論説委員は、その後次々と委員会から外されていく。論説委員会における渡邉委員長の社論決定プロセスは、それまでの会議重視とは正反対で、まったく独断的だった。渡邉委員長になると、会議の表面的な時間は長くなったが、実質的な討議は薄くなった。
論調は“渡邉社論”へと急転回した〉
私のいた子会社の巨人はどうだったか。以前はその巨人にも役員の列に、日本テレビ放送網会長の氏家齊一郎(うじいえせいいちろう)や読売新聞グループ本社代表取締役議長の水上健也がおり、グループ本社代表取締役社長の内山斉(ひとし)も元気だった。
だが、私たちの前で、
「ナベ、それはだめだぞ」
と言うことのできた氏家は2011年3月に亡くなり、水上も旅立っていた。水上は私や巨人社長の桃井恒和を時々、レストランに招待してくれた。
「長く務めなければだめだ。いっとき負けたからといって、球団代表なんかをくるくる代えるようでは、巨人軍は強くならない」
と声をかけ、役員会でも助け舟を出してくれた。
そのあとを見守ってくれた内山も6月に社長の座から外れていた。彼ら3人がいれば、コーチ人事の行方も変わっていたかもしれない。しかしいま、渡邉の周囲にいるのは、親子ほども歳の離れたものわかりのよい人々に見えた。
※本記事の全文(約1万字)は、「文藝春秋 電子版」でご覧ください(清武英利「記者は天国に行けない 第36回」)。「文藝春秋 電子版」では、本連載「記者は天国に行けない」の全てのバックナンバーをお読みいただけます。
第1回 源流の記者
第2回 アパッチ魂
第3回 第一目撃者
第4回 文と度胸
第5回 悪郎伝
第6回「墓場に持って行かせるな」30年を超えて暴かれた電力業界の闇
第7回 執着の先のバトン 孤独な調査報道を結実させた記者たち
第8回 母は無罪だった 警察発表は疑いながら聞くものだ——オンライン記者が嚙み締めた教訓
第9回 畳の上で死ねなかった人々
第10回 赤旗事件記者
第11回 「たたずまい」の現在地
第12回 くちなしの人々
第13回 密やかな正義
第14回 メディア渡世人
第15回 パブリック・エネミーズ
第16回 朝駆けをやめたあとで
第17回 わたしは告発する
第18回 弱い人を台なしにしやがるのは人間どもだ
第19回 「捜査の職人」の遺言
第20回 時代の“斥候”
第21回 ローリングストーン
第22回 座を立て、死角を埋めよ
第23回 「やるがん」の現場へ
第24回 情けをかけてはいけません
第25回 辞表を出すな
第26回 奇道を往く
第27回 スカウトは獲ってなんぼや
第28回 それが見える人
第29回 誰も書かないのなら
第30回 OSが違っていても
第31回 志操を貫く
第32回 曲がり角の決断
第33回 告発前夜
第34回 独裁者の貌
第35回 悪名は無名に勝るのか
第36回 おかしいじゃないですか
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