学校からの帰り道で、タカヒトくんは校則違反を母親に謝っていた。それに体調を崩してしまった母親を気遣いながら、学校から駅に向かう途中で、父親に今回の件の内容を電話連絡した。その際、父親も電話で息子を励ました。
「息子は元気が無いので、気にしないようにと伝えました。それに下手すれば退学だったかもしれないが、退学させられなくて良かったと思うよ、と話しました。このとき、責めることは言ってないです」
学校側がしたタカヒトくんへの処分は、「カンニングが発覚した教科を含めた全科目で0点」、「家庭での謹慎8日、その間友人との連絡は禁止」というものだった。それに加えて「般若心経の写経80巻」と反省文の作成、反省日記などが課され、大学受験の際に推薦入試はできないことも決まった。
学校から帰宅するとタカヒトくんはすぐに写経を開始し、1巻目を学校の指示通りに送信した。翌7日も一日中、写経などの課題に取り組んだ。写経は「文字を間違うと訂正はできず、最初から書き直しとなる。丁寧に書けていない場合も枚数にカウントされない」という厳しいルールがあり(調査報告書)、1枚あたり1時間ほどかかったという。
夕食後もタカヒトくんは写経をしていた。母親は午前1時頃に「反省日記だけ先に書けば」「もう明日にして寝たら」と声をかけた。タカヒトくんは「もうちょっとやってから寝る」と答えている。
母親は先に休むことにしたが、このときタカヒトくんの様子に異常は感じられなかったという。しかし朝目覚めると、タカヒトくんが部屋にいないことに気がついた。
「死ぬという恐怖よりも」「周りから卑怯者と思われながら」
「タカヒトはいままで無断で外出したことはありません。部屋にいないことに気がついた妻は、携帯電話が放置されたままで、上着も置いたままなのに家の鍵がないことから明らかに『おかしい』と思い近隣を探したようです。しかし見当たらなかったので交番に連絡し、事情を説明して一緒に探してもらいました。私は妻から『タカヒトがいない!』と焦った声で電話を受けたのですが、単身赴任先だったのでどうすることもできず、ただただ連絡を待つだけでした」(父親)
しかし、タカヒトくんは遺体で発見されてしまった。その日のうちには、机の上に広げられていた課題の“写経”の下敷きの下から遺書も発見された。
《死ぬという恐怖よりも、このまま周りから卑怯者と思われながら生きていくのが怖くなってきました》
その遺書の中の「卑怯者」というワードに、父親は怒りを覚えるという。
「『卑怯者』というのは、清風高校の副校長が朝礼で『カンニングは卑怯者のすることだ』と何度か使っていた言葉です。反省文にも遺書にも『卑怯者』という言葉がありますが、学校が自己否定の言葉を無理やり言わせているということではないでしょうか。後日、第三者委員会の調査報告書でさえ、『カンニングの禁止の域を超えた一つの行為で全人格を否定するような強い決めつけを感じさせる』とし、『配慮する必要がある』としています」
もちろん両親もカンニングがルール違反であり、指導を受けること自体は当然だと認識している。しかし、教員の指導の圧迫性や、生徒に「卑怯者」という自己評価を強いることは必要以上に人格を否定する不適切な指導だったと主張している。
「息子は亡くなるまでに、謹慎期間中の課題の反省文を2日分の2枚書いていました。また、般若心経の写経80枚のうち、22枚を完成させていました。学校の圧迫指導、人格否定、過剰な謹慎期間中の課題や拘束以外に、自殺の理由がないんです」(父親)
タカヒトくんは、生前どんな子どもだったのか。
「明るい子でした。小学校のときは運動会でクラスの応援団長もして、みんなの前に立っていました。音痴でしたけど、校歌や合唱は大きな声で歌っていました。中学校での成績は中の上くらい。交友関係は広かったと思います。愛嬌がよく、お年寄りには気に入られました」


