黎明期、トイレのない鉄道で起こった悲劇
新橋~横浜間で鉄道が開業した翌年の1873年。増澤政吉という商売人が、商用のため新橋駅から横浜駅まで汽車に乗ることになった。増澤さん、新橋駅で乗車する前からほんのり尿意を感じていたという。
が、発車時間が迫ってきたので駅で済ますのを諦めて乗り込んだ。横浜駅までは1時間もかからない。着いたら行こう、とでも思ったのだろう。
しかし、尿意というのは意のままにコントロールできない。慣れない汽車旅という事情もあったのだろうか、増澤さんは汽車の中でガマンの限界に達してしまった。そうはいってもその場で……というわけにもいかず、窮したあげくに窓を開けて車外に放尿。さすがにそれは許されることではなく、罰金10円を科せられてしまった。
泣く泣く罰金を払った増澤さん、きっと罰金を払いながら、「もう少し余裕を持って駅に行って、済ませておけば良かった……」と、人生最大の後悔をしたに違いない。
他にもこの時代には汽車の中で限界を超えてお漏らししてしまった人が罰金、といったできごともあった。衆人環視の中でオシッコを漏らして罰金なんて、弱り目に祟り目、泣きっ面に蜂、お漏らしに罰金。悲劇というほかない。150年後の現代人は酔っ払って電車で嘔吐したとて、とてつもなく白い目で見られるだけで罰金までは取られない。
ようやく明治半ばには列車の中にトイレが設けられるようになった。ただ、そのときのトイレはいわばただの“穴”。排泄物はすべて車外にたれ流していた。当時はまだまだ肥だめなども珍しくなかったご時世だから、問題視はされなかったのだろう。
ところが、ついにある「事件」がおこる。