13歳の時に山口県の実家を出て一人暮らしをスタートした村重杏奈。家族と離れて暮らした下積み時代を振り返る。(全3回の2回目/前編、続きを読む)
◆◆◆
めっちゃ不安な一人暮らし…仕事を3つ掛け持ちして支えてくれたパパ
――村重さんが13歳のときにHKT48のメンバーになると、中学生にして実家の山口を出て福岡での一人暮らしが始まったそうですが、いかがでしたか?
村重 めっちゃ不安でした。週末ごとにパパとママ、たまにおじいちゃんや妹たちが様子を見に来てくれましたが、平日はひとりだし。パパやママたちも毎週新幹線に乗る余裕はなかったので車で来てくれて。高速を使えば片道3時間、使わなければ片道7時間くらい掛かったのかな。
――数年後には、2人の妹さんたちもアイドルを目指すことになり、福岡までレッスンに通うように。お父さまが送迎されていたそうですね。
村重 私が高校を出たくらいだったのかな。自宅から福岡のスクールまで往復10時間だったので、パパの1日は車の送迎で終わっていたと思います。私の衣装代やレッスン代に加え、妹たちのレッスン代、さらに妹たちは私立の高校に進学したいということで、パパは仕事を3つ掛け持ちしていました。途中からママも働くようになって、親に負担をかけて申し訳なかったと思いますね。
――お父さまはどんなお仕事をされていたのでしょうか?
村重 一つは米軍基地の給油担当で、朝8時から夕方くらいまで働いた後、夜は線路工事に使用する資材運搬の仕事。この二つがメインで、もう一つは日にちが空いた時に単発で何か仕事をしていたのかな。全然寝る時間もなかったと思います。自分でも、どうしたら親の負担を減らせるんだろうって思ったし、でも、正直アイドルとして売れることは難しいだろうって感じながら、まだ諦めきれない気持ちもあって。
パパは松田聖子さんみたいな王道アイドル好き
――お父さまから何かアドバイスのようなことは言われますか?
村重 昔はよく言われましたが、今は言われなくなりました。昔は、パパは松田聖子さんみたいな王道のアイドルが好きだったから、「なんでアイドルなのに変顔とかしちゃうの」って言われましたね。あと、アイドル時代に「アイドル辞めたい」と言ったときは、「自分が一回やるって言ったことは、何か成果が出るまで辞めちゃダメだよ」っていうのはずっと言われています。今でも、「中途半端に仕事を辞めるのは許さない」って言われますし。
ただ、最近はそれ以上に体調の心配をされるかな。私が寝ずに働くときもあるので、パパからLINEや電話をもらって「おい、大丈夫か。ちゃんと寝ろよ」って心配してくれます。
――お父さまとは、恋愛話もされるそうですね。
村重 私がなんでも赤裸々に話すので、「それ、普通はパパに言わないよ」っていうことも相談してますね。親の意見の方がしっくりくるし。