バラエティのみならず多くの分野で活躍し、主演映画『悪鬼のウイルス』の公開も控える村重杏奈。HKT48、NMB48に加入しアイドルとして活動して葛藤を抱えるなか、活路を見出したきっかけは…。(全3回の1回目/♯2♯3を読む)

村重杏奈さん ©︎榎本麻美/文藝春秋

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「王道のアイドル路線は無理」「R-1出場は黒歴史」

――2011年、12歳でアクターズスクール広島に入ると、同年13歳でHKT48に加入、2014年にはNMB48も兼任してアイドルとして活動されていましたが、いかがでしたか?

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村重 アイドルになって早々に、「王道のアイドル路線は無理だな」って気付きましたね。あるとき、ファンの方に言われてハッとしたんですけど「村重のことは好きだけど、全然支えたくないんだよね」って。私、1人でも超元気だしたくましいじゃないですか。でも、それってアイドルとしてはいらない感情というか。アイドルって守ってあげたいとか、支えてあげたいって思ってもらうことが大切だとしたら、村重は大雑把だし破天荒すぎる面もあるのか、1ミリも支えてあげたいって思えなかったみたいですね。

 でも、早めに自分は王道アイドルじゃないって気づけて良かったです。MCメンバーとして頑張ろうって切り替えることができたし、HKTに入っていなかったらそうした自分とも出会えていなかったので。

 

――2013年にはR-1グランプリに出場されましたが、こちらも王道アイドルとは違う路線を考えられたのでしょうか?

村重 それ、マジ黒歴史なんですけど…(笑)。人と違うことをしたいと思って参加させてもらいましたが、2回戦まで進んだものの、村重、超つまんないネタをやってたなって思いますね。プロの方たちが切磋琢磨して舞台に立っているなかで、アイドルだろうがなんだろうが、そのレベルに達してないと無理があるし。

ロケでも子どもたちから「あ、村重!」って

――ちなみに、ご自身のことを「村重」って呼ばれるようになったのはいつくらいからですか?

村重 13歳くらいかな? HKT48に入ってアイドルはじめてからですね。指原(莉乃)さんが、自分のことを「指原はー」って昔言ってたじゃないですか。その真似をして、クセが抜けなくなっちゃった感じですね。ロケでも子どもたちから「あ、村重!」って呼ばれるから覚えやすいんだなって。

――2015年にNMB 48を、2021年にはHKT48を卒業すると、どういった方向性でやっていきたいなどありましたか?

村重 卒業した時はノープランで、事務所の人も「これからどうすんの?」みたいな空気だったんですけど。マネージャーさんと話をしていて、モデルとタレントに憧れがあると伝えると、じゃあ、そのために頑張りましょうとなってスタートしました。今はバラエティが多いですが、村重の名前が世間でも認知してもらえるようになったのは『呼び出し先生タナカ』に出たあたりですね。村重のおバカがバレてから、ワーッて他の番組にも呼ばれるようになったと思います。