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 続く夕暮れの江戸川土手をアラカンさんの腕を取って歩き去るまで充実したフィルムが続きます。その丸まった背中を見れば、この映画の主役はアラカンさん以外いない。サイレント期を通じて『鞍馬天狗』などで日本中を虜にした大スター、アラカンさん以外にね。

『男はつらいよ 寅次郎と殿様』(1977年、山田洋次監督) 写真提供:松竹

 この映画でもう一人、忘れられないのは義兄役の平田昭彦さんです。鞠子が遺産目当てに現れたと邪推して、手切れ金をさくらさんに預けるいけ好かない金持ち男にも関わらず、平田さんが演じると妙にこれがカッコいい(笑)。スクリーン上で相対することはなかったんですが、大森付近の港湾会社で働く鞠子を演じる上ですごく刺激になりました。

喜劇の中の残酷、悲喜劇の極みのシーン

 映画は最後の最後、ラスト8分で寅さんの失恋が決まる。殿様に鞠子をよろしくと手紙をもらった寅さんはすっかり浮かれ気分。さくらさんが彼女の気持ちを訊くと、好きな人がいて再婚しようと決めたという。失意の寅さんが2階へ引っ込む際も、彼女は「どうして急に具合が悪くなったの?」と、さくらさんに訊くでしょう。何の屈託もなく。あれは喜劇の中の残酷、悲喜劇の極みですね。それこそが山田監督が描く『男はつらいよ』の素顔、いまも私たちを魅了する秘密でもあると思います。

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 寅次郎とさくらという腹違いの兄妹、育ての親の叔父叔母。互いに分かり合えているつもりでも、すれ違ってしまう。分かって欲しいと期待するから、裏切られたと孤独を感じるんですね。みんなが集まるとらやの茶の間のシーンでは、一人を立てるために、全員が息をとめて待つ。相手を引き立てる絶妙な受けの芝居があるから、互いが細い線で繋がっていることを喜劇として表現できるんですね。

『寅次郎と殿様』の思い出を語るときりがありませんが、これからご覧になる方に一つお楽しみがあります。本作には若き日の寺尾聰さんが出ていて、クスッと笑える名演技が観られます(笑)。冒頭からラストまで文字通り笑いと涙で彩られた作品に出られたことは、今も私の誇りです。