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昭和の象徴が映画の中で永遠の命を授けられている

 難しかったのは、ホームの階段を上っていく花子が寅さんを振り返るところ。監督から「それだと都会の子みたいだから、もっと不格好に上って」と注意されて。私なりに背中で哀れさを出しながら上っても、うまくいかないから、監督が「抱えたミカンを落っことそう」と。これがまた監督のイメージ通りにミカンが転がってくれないんですよ(笑)。まるでミカンにキューを出すみたいになって。でも、撮影の高羽哲夫さんたちに支えられてOKまで行けました。

『男はつらいよ 奮闘篇』(1971年、山田洋次監督) 写真提供:松竹

 映画の花子は周囲に見守られて幸せになっていくわけですが、演じる私も山田監督やスタッフ、渥美さんや森川信さん、三崎千恵子さん、前田吟さんに倍賞千恵子さんに助けてもらえました。とらやの賑やかな場面、あれは舞台劇なんです。アドリブも極力なくて何度もリハーサルをやって。皆さんはヘトヘトなのに私だけ元気なのが申し訳なかったです!

「わたし、とらちゃんの嫁ッコになる」という一言で柴又中を動揺させたまま、花子は先生と津軽に帰ります。本当に邦衛さんと夜行列車に乗って青森へ向かったんですよ。時代を感じますよね。

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 寅さんが紛らわしい遺書みたいな手紙を出したから、さくらさんが驫木までやって来る。そこで用務員として働く私と再会するんですが、冬の岩木山山麓の寒さは厳しかった。あの町並み、木造校舎も、先生や花子も今となっては遠い昭和の象徴ですが、『奮闘篇』という映画で永遠の命を授けられているのでしょうね。