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日本ハム・平沼翔太 3年目の大きな変化を見逃せない

文春野球コラム ペナントレース2018

2018/06/20
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 6月、私が考えていたのは「3年」という月日について。野球選手にとっての「3年」はどのくらいの重さで、そこにはどのくらいの変化があるのだろうと。

 交流戦終盤のファイターズ、今シーズン初めて1軍に上がってきた選手がいます。高卒3年目の平沼翔太選手。優勝争いの後半戦ではキーマンに、そしてその若さでチームをかき回してくれる存在になると期待しています。います……が6月の初めに2軍施設の鎌ヶ谷スタジアムで私が会った平沼選手は、ちょっとだけ心配な姿でした。

投手に未練たっぷりだったドラフト直後

 福井の敦賀気比高校出身、2015年春の選抜高校野球大会の優勝投手です。反り返るほどに伸びた背筋と左足を高く上げるピッチングフォームの背番号「1」の後ろ姿は今でも簡単に思い浮かべることが出来るくらい印象的でした。3年夏の甲子園では2回戦で敗退しますが、チームからの厚い信頼でエース兼4番をつとめた平沼選手はプロへの思いを募らせます。

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 その「平沼投手」を、その年のドラフトでファイターズは4位で指名します。「投手」ではなく「野手」として。出場した甲子園3大会は、40打数15安打1本塁打の成績。その打力を生かして、守備ではショートとしてスタートしてほしいというのがファイターズからの要望でした。

 ショートは守備の花形。未経験の平沼選手にファイターズは内野手として最大限の評価をし、その後の育成を提案したのです。

 ですが、当然のごとく、ドラフト直後の平沼選手は困惑していました。わかりやすく言えば投手に未練たっぷりでした。当時は大谷選手が3年目のシーズンを終えた秋です。「二刀流」が、雲をつかむようなイメージから現実の物として世間に浸透して来た頃。その二刀流を認めているチームに指名されたことはモチベーションをあげる上で重要な要素だったようです。「まずは求められているところで結果を残して、その先にまた投手に挑戦したい」、正直にインタビューで話してくれたのを覚えています。

敦賀気比高校時代はエース兼4番で甲子園に出場していた平沼翔太

「野手の面白み、わからないです」

 プロ1年目の平沼選手はファームで91試合に出場しました。そのオフに会った時には、とてもすっきりした表情をしていて、投手からのコンバートは不安しかなかったのに、今はショートの面白さすら感じていると話していました。その姿からは、生活環境が変わり、朝から晩まで野球漬けになる、職業としての野球にうまく対応している様子がとてもよく伝わってきました。ショートで生きていく、その決意も感じました。

 2年目には1軍も経験し、そして3年目の今年はアリゾナの1軍キャンプからスタート。オープン戦では本拠地・札幌ドームでホームランも出て手応えを感じている様子でしたが開幕1軍は叶いませんでした。2軍で試合出場を続け、試合後の特別守備練習は後輩と一緒に日が暮れるまで……この中で誰よりも早く1軍に定着するのは自分でなくてはならない、と意思を強くして励んでいるに違いない。その意気込みを聴きたくて札幌から鎌ヶ谷に行きました。

「野手の面白み、わからないですね……」

 え??

「バッティングの課題……あるんですけど、難しいですね……」

 おっと。

 なんとも分厚い壁が平沼選手の前にどーーーーんと見えました。知れば知るほど深みにはまる、考えれば考えるほど答えがわからなくなる。3年目に高い目標を持っていた平沼選手はそこに達していない自分に対するもやもやを隠しませんでした。

 こりゃあかん……と思いました。もがいていると思いました。でも、今度は私がもやもやする。そわそわもする。そうか、これはその時がまた近づいているということなのか。またひとり、選手が大きく変わる瞬間を見届けられるということか。

 これをひとつのチームを追いかける醍醐味と言わずになんと表現しよう。平沼選手はこの壁をもうすぐぶち壊そうとしている、ジャンプする前に姿勢は一番低くなる、それが目の前のこの姿なんじゃないかとピンときたのです。

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