これに対し、尹大統領による戒厳令では、事前に情報が洩れることを恐れるあまり、徹底した準備ができなかった模様だ。1979年当時の様子を知る国家情報院(KCIAの後身)元幹部は「本来なら戒厳令布告と同時に、逮捕対象者を拘束しなければならない。戒厳令を出した後で、逮捕対象者を捜すなどあり得ない」と語る。韓国司法当局の調べによれば、尹氏は戒厳軍の指揮官らに電話で、「だから、事前に軍を配備しておけといったのに」と不満をぶつけていたという。別の韓国軍元将校は「今の若い兵士にとってスマホを見るのは、食事を摂るのと同じだ。スマホを与えないと、彼らは死んでしまう」と語る。どこから情報が洩れるかわからない状況で、準備にも限界があったのだろう。
また、ハナフェの元会員だった元将校は、戒厳軍に参加した指揮官たちの態度にも唖然としたという。指揮官らは戒厳軍として出動する一方、市民との衝突を極力避けた。国会では「良いことだとは思っていなかった」などとも証言した。元将校は戒厳軍指揮官たちの言動の是非はさておき、ハナフェのような「一人が考え、一人が行動しているような団結」が軍から失われていることに驚いたという。抗命するなら、職を辞すしかない。一度命令を受け入れた以上、最後までやり遂げるべきだという。
戒厳令を助言した金龍顕にみる「ハナフェの亡霊」
今回、戒厳令を尹錫悦大統領に助言した金龍顕国防相(当時)は陸士38期。ハナフェが募集を停止した後に入隊した幹部だ。ただ、ハナフェの解散により、韓国では軍に対する文民統制が強化される一方、政治の顔色をうかがう軍人も増えたという。金龍顕氏は職務に熱心な軍人で、陸軍作戦本部長などを歴任し、「将来は4スター(大将)間違いなし」と言われていた。ところが、文在寅政権の時、中将で予備役に入り、周囲に不満を漏らしていたという。金氏は、同じソウル・沖岩高校の1年後輩の尹錫悦氏が大統領に就任後、大統領警護処長として返り咲き、国防相にまで上り詰めた。
ハナフェはなくなったが、ハナフェの亡霊は今でも韓国軍のなかで生き続けている。