ハナフェ(ひとつの会)。1979年12月12日、戒厳令下の韓国で起きた「粛軍クーデター(1212事件)」で主役を担った韓国軍の秘密私的組織だ。ハナフェの旧メンバーたちは、尹錫悦(ユンソンニョル)大統領が昨年12月3日に強行した戒厳令をどう見ていたのだろうか。ハナフェの会員だった元韓国陸軍将校に話を聞いた。

全斗煥、盧泰愚らがつくった陸士出身者エリート組織

 ハナフェは韓国陸軍士官学校11期生(陸士11期)の全斗煥(チョンドゥファン)元大統領や盧泰愚(ノテウ)元大統領らが中心になってつくった私的組織だ。元将校はハナフェの名前の由来について「一人の人間が考え、行動するように団結するという意味だ」と語る。ハナフェは当時の朴正煕(パクチョンヒ)大統領を盛り立てる役割も担っており、朴大統領もその存在を黙認した。

©AFP=時事

 ハナフェはどのように人材を選抜していたのか。元将校は陸士を卒業後、ほどなくして先輩から声をかけられた。「その時は先輩たちの会合に誘われただけだと思った。ハナフェという名前も後で知った」。陸士の同期約300人のなかから、陸士での成績や野戦司令官としての才能、人格などを見極め、「これは」と思った人物を、期別に約10人ずつ選んでいた。

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 会合では、先輩軍人たちから「韓国軍人の模範にならなければならない」と口を酸っぱくして言われたという。自然と会員たちの間にエリート意識が生まれた。元会員も「ハナフェの会員になった時点で、将来は1スター(准将)以上になるのは当然だと皆考えていた」と語る。

1979年・粛軍クーデターを機に権力を手中に

 ハナフェが名実ともに国家権力を握ったのが1979年の粛軍クーデターだった。事件当時、全斗煥氏は軍の保安司令官で、朴正煕暗殺事件を調査する合同捜査本部長だった。調査の過程で、戒厳司令官だった鄭昇和(チョンスンファ)陸軍参謀総長(大将)が、暗殺事件の現場になった大統領専用施設の敷地内にいたことがわかった。

 全氏は真相究明のため、鄭氏の調査を主張したという。ただ、全氏は当時、少将。鄭氏よりも軍内の立場が弱かったため、ハナフェや保安司令部の機能をフルに使い、鄭氏の逮捕を目指して銃撃戦を起こしたという。