トランプのアカウントを復活
マスクは買収後に、これまでの「コンテンツモデレーション(節度ある投稿管理)」のファイルをジャーナリストに開示した。これによって、ツイッターがバイデン政権に忖度し、トランプを支持する投稿を抑制していた事実が明らかになり、保守派の疑惑に一定の根拠があることが示された(ただしこれは、ツイッターの社員の大半が民主党支持者だったからで、ディープステイト=闇の政府による陰謀ではない)。
マスクは自らを「リバタリアン」だと述べている。リベラリズムと同じく「自由(Liberty)」から派生した言葉で、「自由原理主義者」をいう。リベラリズムはもともと「自由主義」のことだが、「リベラル」を自称する政党やメディア、知識人はいつしか平等を過度に重視し、それによって自由が抑圧されていると不満を抱く者たちが「リバタリアン」を名乗るようになった。日本ではティーパーティーのようなキリスト教保守派の運動だと思われているが、じつは現在、リバタリアニズムの最大の拠点はシリコンバレーだ。彼らは「テクノ・リバタリアン」と呼ばれている。
マスクのようなIT起業家がリバタリアンなのは、国家の規制や介入のない自由な環境こそがテクノロジーを進歩させることを考えれば当然のことだ。逆にいえば、自由のない世界では「とてつもなく賢い」者たちは自らの才能を活かすことができず、死に絶えてしまう。
リバタリアニズムは国家を最小化し、自由を最大化することを目指すが、現代のリベラリズムは逆に、社会福祉などで国家を最大化しようとする。国家が介入する範囲が広がれば広がるほど、自由の領域は狭まっていく。リバタリアンからすれば、口先で「権力」を批判しながら自由を壊死させようとするリベラルは「国家主義者」なのだ。
そしていま、リバタリアンの最大の敵は、「社会正義」の名の下に言論・表現の自由を蹂躙する「ウォーク」になっている。これは右派(リバタリアン)と左派(ウォーク)の対立とされているが、このような旧態依然とした枠組みでは、それが「自由」をめぐる政治思想の闘争であることがわからなくなってしまう。
ツイッターは連邦議会議事堂襲撃事件でトランプのアカウントを「永久追放」したが、マスクはそれを復活させたうえで、FOXニュースの元看板司会者タッカー・カールソンによるトランプのインタビューをXでストリーミング配信した。これもマスクが「右派」になった証拠とされたが、トランプが次期大統領選の共和党の候補者争いで独走状態にあることで、言論プラットフォームからトランプを排除する正当性は揺らいでいる。
「民主主義」でもっとも重要なのは議論であり、対話だとされる。だとしたらなぜ、大統領選挙の最有力候補を議論に参加させないのか。トランプは現在、保守派のSNS「トゥルース・ソーシャル」で活動しているが、このような状況こそがアメリカ社会の分極化を招いているとのマスクの指摘にはじゅうぶんな理がある。
※本記事の全文は「文藝春秋 電子版」に掲載されています(「橘玲のイーロン・マスク論」)。記事全文(17,000字)では、さらに下記のテーマについて深堀りしています。
・私はアスペルガー
・他人に共感ができない
・国家主権から“自己主権”へ
・政府なんていらない
・危険すぎる「独立自由国家」
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