「だって私、女優だもの」
最後に電話した時は、川島の病状を何も知らなかったという倍賞。電話口で苦しそうに咳をしている川島に「なお美ちゃん、そんなに頑張らなくていいんだよ」と言ったら、こう答えたという。
「千恵さん、だって私、女優だもの」
「じゃあ、頑張らないように頑張って」
「うん、分かった。頑張らないようにして頑張る。女優だから」と、答えたそうである。
「女優だもの」「女優だから」という言葉に、川島の信念を感じる。
葬儀では事務所の先輩でもある片岡鶴太郎の弔辞も読み上げられた。川島が亡くなる20分前に見舞った時の様子を明かした。
「よく頑張ったねえ、最後まで女優だったねえ、美しいねえ、と話しかけたら、薄い意識の中で瞳を濡らした。髪も若々しかった。握った手の柔らかさ。ネイルもかわいかった。そのかわいらしさがいじらしかった。それさえも奪っていくのか。(中略)
また来るからね、と病院を後にした。それから20分。(夫である)鎧塚さんからの電話。腰が崩れ落ちた」
「それさえも奪っていくのか」という言葉が痛切に響く。死は残酷であり、情け容赦ない。
「あなたは本当に美しくて素晴らしい人でした」
作家の林真理子も弔辞に立ち、あふれる涙を抑えつつ遺影に語りかけた。
「いま日本中があなたの死を悼み、悲しんでいます。あなたはいつも時代を体現して見せてくれました。あなたの最愛の人、鎧塚さんを決して孤独にはしません。私たち仲間が、きっと友情で支えます。なお美さん、ありがとう。そして、さようなら。あなたは本当に美しくて素晴らしい人でした」
死の3カ月前、友人で漫画家のさかもと未明が撮影した写真が遺影となったが、吸い込まれそうな目で魅惑的なポーズを作ってくれたという。だが、その後、急激にやせ細ってしまった。がんが生きるエネルギーも奪ってしまったのだろう。心配した未明の連絡に対し、川島はこう答えたそうである。
「すごく疲れる。体が休みたがって悲鳴をあげている。会えるとしても来年ね」
悲報が届いたのは、この1週間後だった。
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