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唐十郎さんから受けた影響

――時代の気配。

佐野 お話をいただいたときに「なぜ今この企画なのか?」と、今に照らし合わせて考えてしまうのは、劇団時代の恩師、唐十郎さんの影響が大きいのかもしれません。僕は20代の頃に唐さんが座長の「状況劇場」で舞台に立っていたんです。唐さんの戯曲ってたとえば『由比正雪』にしても、江戸の始まりとは何だったのかということを、戦後史やその当時の60年代のことを重ね合わせながら描いているんですよね。そこから学んだのは、コメディーにしろ、ホラーにしろ、ハートウォーミングなドラマにしろ、それこそ冬彦が出てくるようなドラマにしろ、演じるうえで大切なことは、「なぜ今この作品が生まれ出ようとしているのか、それを読み解くこと」なんです。

 

――佐野さんの俳優論の根っこにあるものという気がします。

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佐野 個人史を大きな歴史の流れに照らしながら、作品を探るということかもしれないですね。この『限界団地』も、憧れの団地が次第に齢を重ね、昭和で解決できなかった問題群がそのまま平成に引き継がれ、その平成もまた終わりを迎えようとしている、そんな時代背景を象徴していると思います。家族観、共同体のあり方を含め、結論の出ていない問題が「団地」という場所に集約されているというか。

 

――特に住宅というのは、時代の家族観を反映しますよね。

佐野 冬彦の翌年に、再び賀来千香子さんとご一緒した『誰にも言えない』で住まいに設定されていたのは南大沢の高層マンションの最上階でした。なんというか、それこそ現実がドラマのオープンセットのような空間で、虚実が転倒するような空気が漂っていた気がしますね。

井伊直弼の最期を演じながら思ったこと

――佐野さんは歴史上の人物も数多く演じていらっしゃいます。過去を生きた実在の人物に取り組むときには、どんな心構えで臨まれるのでしょう?

佐野 その人物に対して失礼のないように演じようとしています。犯罪者を演じる場合は、被害者に対して失礼のないように気をつける。そこだけは、大事にしています。

 

――今年の大河ドラマ『西郷どん』では井伊直弼を演じられました。

佐野 直弼公については「安政の大獄」が圧政であったと批判されがちですよね。たしかに過ぎていたところはあったかもしれません。ただ、非情の選択をしなければ、世の中が収まらなかった上の覚悟であったのだと思います。そうした想いが葬られ封じ込められた直弼公の「この国を頼む」という想いを、桜田門外で倒幕派に首を斬られる最後の表情に込め、演じました。

――なんとも言えない表情での最期でした。

佐野 歴史というのは、どうしても勝者の視点で語られることが多いですよね。直弼公の圧政が批判されるのも、それは勝者の側からの歴史観だからでしょう。彦根に足を運んで学んだのは、彼が文武両道の非凡な人物であり、禅を極め、能楽師であり、茶人としても一期一会を旨とした広い世界観を持つ政治家だったということ。そうした人物像を、これまでの価値観の中に一石投じてみたかったんです。

 

『226』で青年将校を演じた時の怖さ

――歴史に封じ込められた「敗者」で言えば、応仁の乱を描いた大河ドラマ『花の乱』では、8代将軍・足利義政の弟で、後継となりながらも次期将軍の座に就けなかった足利義視を演じられましたし、映画『226』では急進派の青年将校・栗原安秀中尉を演じています。

佐野 栗原中尉は奇しくも僕と同じ松江の出身なんです。キャスティングした方はそんなことを知らずに依頼してくださったんですが、あの時はさすがに怖いというか、背筋が伸びるような思いがしましたね。あの時も、2・26事件が起きた昭和11年とは何だったのか、青年将校たちはなぜ急進的にならざるを得なかったのか、クーデターが鎮圧された無念とはどんなものだったのか、ずいぶん考えました。