『限界団地』(東海テレビ・フジテレビ系)で連続ドラマ初主演を務める佐野史郎さん。冬彦さんから井伊直弼まで、数々の役柄を演じてきたからこその演技の秘密を伺いました。役者歴40年以上の名優が語るバイプレーヤー論とは?
※前編〈佐野史郎が語る「冬彦さんは平成のゴジラだった」http://bunshun.jp/articles/-/7663〉より続く
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テレビで見た団地への憧れ
――主演される『限界団地』はその名の通り団地が舞台です。佐野さんには「団地の思い出」はありますか?
佐野 僕は昭和36年まで練馬にいて、7歳から島根県の松江で過ごしましたから団地には縁がなかったんですよね。松江は県庁所在地とはいえ、その頃はほんとに田舎の風景で、クラスの半分は農家の子。その子たちは農繁期の刈り入れ時になると午前中で帰っていました。家の手伝いだから。ただ、テレビなんかで文化住宅や団地の映像は目にしていたから、なんとなくの憧れはありました。
――松江から上京されるのは74年、昭和49年のことですね。
佐野 高校卒業して、表現の道に進みたくて東京に出てきたんですが、一人暮らしする時に団地への憧れって、まだやっぱりありましたね。友だちが荻窪団地に住んでいて、倍率が高いだの、入居手続きが面倒だの話を聞いていると羨ましいというか。僕は阿佐ヶ谷の木造モルタルのアパートに住んでました。この前、そこを通りかかったんですけど、でっかいマンションが建っちゃっててショックだったな。お隣のラーメン屋さんもなくなってた。
なぜこのドラマが平成最後の年に放送されるのか
――思い出のラーメン屋さんだったんですか。
佐野 劇団員時代でお金もなかったから、醤油を借りに行ったりしたんですよ(笑)。100円持ってって「メンマください」ってお願いしたら、どっさり差し入れしてくれたりね。メンマつまみながら仲間と酒を飲んだのもいい思い出です。
――歴史の長い団地には今や「昭和遺産」的な側面を持つ部分もありますが、佐野さんはこの『限界団地』のお話がきたときにどんなことを感じましたか?
佐野 正直言うと、主役をどう演じようかと考える前に、なぜ団地を舞台にしたドラマがこの平成最後の年に企画として成立したのかなって、まず、その理由を知りたいと思いました。時代の気配というか。