10球団になったら広島(カープ)は1年で破綻します
サラリーマンはどこを向いて仕事をすればいいのだろうか。お客さんか、上司か、権力者かーー。大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併話に始まる球界再編騒動。それを阻もうという野崎さんの闘いは、球団サラリーマンの矜持と力をつくづくと考えさせる出来事であった。
野崎さんは妻に語りかけた後、タイガース球団や電鉄本社、そして久万オーナーの説得にかかる。1リーグ制を志向すれば、球界は負のスパイラルに陥る、と考えたからだ。
球団の数を12から10、さらには8つに減らして縮小均衡を保ったとしても、ファンの総数は減り、新たな不入りのカードや弱小球団が生まれる。巨人のような強者は常に残るが、球界は後戻りできないジリ貧状態となる。
そう考える野崎さんや擁護する役員に対し、タイガースの球団役員会でビジネス優先の発言をした幹部もいる。
「何が正しいかよりも、一番損をしないようにということか」
野崎さんが、「10球団になったら広島(カープ)は1年で破綻します」と指摘すると、久万オーナーは淡々とした口調で言い返した。
「そうなると広島は存在すること自体に無理がある。潰れても仕方がない。しかし、当球団はそうか否か。必ずしも10億円の減収を恐れない」
10億円の減収とは、1リーグ制になった場合、セ・リーグの球団からパ・リーグ球団に流出するであろう巨人戦の放映権収入である。野崎さんはその広島カープや中日ドラゴンズなどを次々と巻き込んで、ファンや選手たちの支持を得ていった。
やがて同志となるカープの鈴木清明球団副本部長(現・本部長)はこの年から睡眠薬と降圧剤を飲みだした。彼は野崎さんと同様に12球団実行委員会のメンバーであった。
当時のカープは1991年以来、優勝がなかった。巨人戦の放映権料頼みの経営に追い詰められていたところに、1リーグ制論議で球団自体が死ぬか生きるかの分かれ目に差し掛かった。
その行方は、文春文庫にて刊行された拙著『サラリーマン球団社長』を読んでいただきたい。
彼らには難問が待ち受けていた。鈴木さんは広島から4時間かけて新幹線で上京し、12球団で唯一、近鉄・オリックス合併そのものに反対論を唱えて孤立した。そのかたわらで「強固な赤ヘル復活」を目指し、松田元オーナーとともにマツダスタジアム建設とチーム革新に乗り出す。
一方、2リーグ制維持に奔走した野崎さんは、渡邉氏から目の敵にされ、巨人にくっついていこうとする久万オーナーからもこう叱責される。
「君が喧嘩するのであれば勝手にやればいい。渡邉オーナーは怒っていた」。彼も孤立し、前からも後ろからも弾が飛んできた。
あなたならこんなとき、どうするだろうか。
情熱を頼りにナベツネ支配や球団危機に抗ったこの2人の物語は、長い時間をかけて彼らから聞き取った実話である。編集者や本屋さんには叱られそうだが、立ち読みでもいいから、彼らの苦闘を知ってもらいたいと思う。
意地を貫いた鈴木さんは、黒田博樹投手や新井貴浩選手(現監督)らとともに、2016年から球団初のリーグ3連覇を果たした。「ありがとう!」というファンの声が道を覆う広島の平和大通りを、晴れ晴れとパレードした。そして70歳の今年もカープのキャンプ地に立っている。
野崎さんは83歳。昨年12月、元球団関係者としては唯一、日本プロ野球選手会から「球界再編20周年シンポジウム」に招待された。1リーグ制に激しく抗議してファンの心をつかんだ選手会に「抵抗の功労者」として認められたのだと私は思う。
彼は直言居士なので、タイガースOB会の行事にも招かれることがないが、するだけのことはした、という満足感がその顔にあふれている。
