ノンフィクション作家の清武英利氏は、読売ジャイアンツのGMを務めていた当時、チーム人事を巡って読売新聞グループ代表取締役の渡邉恒雄氏と対立。このことがきっかけでGMを解任された清武氏は、61歳にして“3度目の人生”を歩み始めた。
「物書き」以外に取り柄がない
「物書きであろうとするならば、1日8時間は机の前に座った方がいいですよ。サラリーマンだって8時間は働いているんだから」
というのが、友人の江上剛の助言であった。
江上は第一勧業銀行(現・みずほ銀行)の不正融資が発覚したとき、広報部次長として奮闘し、上司に噛みついた。その後に支店長にも就いたが、銀行の体質が変わらないことに絶望し、「やめた方がいいですよ」という周囲の声を押し切って作家に転身している。
一方の私は巨人コーチ人事への突然の横やりに直面し、渡邉恒雄の独裁の非を記者会見で訴えたが、それはやむにやまれぬ告発で、先々を考えないまま、61歳で3度目の新たな人生に踏み出していた。
振り返れば、初めは読売新聞で記者稼業を30年、2度目は巨人で球団代表を7年、そして巨人球団代表を解任された3度目は、収入も定まらない物書き修業である。
それ以外に取り柄がなかったからだが、記者や球団代表の経験から、うまくいくかどうかは、才能よりもむしろ自分の熱と辛抱にかかっていることは知っていた。私たちが創設に苦労した野球界の育成選手制度は、埋もれた選手の隠れた能力を掘り出す仕組みだ。今度は私の中の能力を辛抱して掘り出す番だった。
巡り合わせというしかないが、私は解任された翌日の2011年11月19日、母校である県立宮崎南高校の生徒らを前に、「あなたの中のビッグツール(大きな能力)」という演題で講演することになっていた。母校の創立50周年記念式典に合わせて、1年前から講演を依頼されていたのだ。
私の心配は、メディアが押しかけてきて混乱するかもしれないということだった。それで解任された夜に、校長だった佐々木逸夫に「解任という次第になりましたので、講演はご遠慮しましょうか」と電話でお伺いを立てた。彼は宮崎なまりで「何(なん)をいまさら」と笑った。
「あんたが来んけりゃ、私がやらんといかんのですよ。生徒は楽しみに待っちょりますよ」
その言葉に励まされて、私は宮崎市民文化ホールに集まった約1500人の生徒や卒業生の前に立った。