――町さんが書かれた『受援力』という本は、困ったときに誰かに助けを求める方がいいよという本だと思うのですが、そこにはお父さんの存在もあったのでしょうか。

 そうですね。この本をヤングケアラーのことだけで終わらせたくなかったのは、やっぱり父に支援が必要だったからなんですよね。結局子供をヤングケアラーにしているのは親なんです。親が誰かに助けを求めないとヤングケアラーの問題って解決しないんですよね。

 でも母が障がい者になった当時、現在のようなヤングケアラーなど介護する人を「支援しよう」という動きが自治体にあっても、おそらくうちの父は「いや、うちは娘がちゃんとやってるので大丈夫ですから」って支援を断ったと思うんですよね。父は結果として最初に母が倒れた時も、誰にも気持ちを吐き出せないままでした。

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 母が助からないがんだと知った時の父は消えちゃいそうでした。実際に「お母さんが死んだら俺も死ぬ」とよく言っていました。病院の先生からも実は「お父さんは後を追って憔悴して死んじゃうタイプだから気をつけてね」って言われましたし、結果はやっぱりその通りになりました。

町さんのご両親。お父さんはお母さんのことが大好きだったという(写真=本人提供)

「迷惑をかけているのはわかってるんだけど…」アルコール依存症の父が漏らしていた“本音”

――ひどくアルコールに依存されたとか。

 母に末期のがんが見つかった時に、同時に父も初期の胃がんと診断され手術を受けていました。お医者さんからも肝硬変になるので禁酒するように言われていたんですけど、ご飯も食べなくて、ずっとお酒だけ。お酒を飲んでいるのを私や妹に見つかると叱られるので、隠れてこっそり飲んでました。父が乗っていた車のワゴンから、隠れて飲んだ「氷結」の缶がいっぱい出てきたこともあります。

 お酒を飲み過ぎて、意識混濁で2回ぐらい倒れたんですね。それで入院して診断したら、脳が萎縮していて。先生には「ウェルニッケ・コルサコフ症候群という病気です」と言われました。アルコール依存とビタミンの欠乏が重なると発症する病気で、現代ではなかなかならない病気です。

 脳が萎縮したことで錯乱状態になって、幻覚が見えたり、夜中にベッドから出て行っちゃって看護師さんに暴言を吐いたり。このままだとこの病院には入院させられないとなって、強制的に点滴で眠らせて、精神病院に転院させなければならないほどの状況でした。最後には足もきかなくなって車椅子になっていたんです。またここから父の介護が始まるのかと思ったら、容態が急変して。そこからは転げ落ちるように。最後は肺不全で亡くなりました。

 

――アルコールをそれだけ止められても飲む。自殺とも言えますね。

 緩慢な自殺ですよね。父は生前、「なんでこんなに立ち直れないのか。もう自分でもどうしようもない。子供に迷惑をかけているのはわかってるんだけど、妻が亡くなった悲しさを埋められない」と言っていたみたいなんです。父が亡くなったあと、父を気にかけてくれてた方が教えてくれました。そうした胸のうちを父が誰かに言えていたのはせめてもの救いだったんですけれど。

撮影=平松市聖/文藝春秋

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