手紙に助けられた

 増田 当時はガラスの心でしたからね。「非国民」という言葉が刺さってしまいました。精神的な病気だったと思います。私を見るみんなの目が「非国民」と言っているようで。人の目が怖くて見られなくなってしまいました。そこから3カ月くらい寮に閉じこもって、電話線も抜いてしまいました。暗かったですよ、私。どうしたら消えることができるのだろうと思ったりして。夜、布団に入ってその方法を考えるのが唯一の気分転換でしたね。

増田明美さん ©文藝春秋

 有働 その時は何がもう一度外に出ようと思わせてくれたのですか?

 増田 手紙です。

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 有働 どなたから?

 増田 全国から。昨年4月に旅立った母が心配して、週一度くらい、おかずを持って部屋まで来てくれたんです。そのつど実家に届いていた手紙を4、5通持ってきてくれて、最初は「また非国民と言われるのかな」と身構えたけど、そんな人は一人もいませんでしたね。皆さんが温かくて励まされ、手紙を読みながら徐々に元気になっていきました。

 有働 当時はお母様も辛かったでしょうね……。

有働由美子さん ©文藝春秋

 増田 そう思います。私が壮行会をすっぽかした時にも、いろんな人から「(五輪を経て自殺したマラソン選手の)円谷幸吉さんみたいにならなきゃいい」と言われたそうで、五輪もダメで、閉じこもりましたから。私、若い頃は本当に親不孝だった。でも、2017年にナレーションを務めたNHKの朝ドラ『ひよっこ』を、母は1日4回観ていました。あれは親孝行になりましたね。

 有働さんのご著書『ウドウロク』に、お母様がご自分の「アキレス腱だった」「失っては走れないという意味で」とありましたが、私も同じでした。亡くなったとき、一番の味方がいなくなっちゃったと思って、涙が止まらなくなって……有働さん、大丈夫? ハンカチを。

 有働 あ、すみません、涙が勝手に。年取ると涙もろくなりますね。お母様の気持ちを考えてしまって。

※この対談の全文(約8600字)は「文藝春秋」2025年3月号と、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(増田明美×有働由美子「最近は親御さんが選手のネタをくれます」)。全文では、下記の内容をお読みいただけます。
マスペディアの裏側
・選手のお母さんを掴むコツ
・家庭内で上下関係は?
・解説には一区切りつけた
・昔はもっと尖っていた