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撮影者のまなざしが直接に伝わる写真

 でも、ここで不思議に思う。本人に言わせれば単なる記録に過ぎない写真の一枚ずつが、なぜこれほど魅力的に見えるのか。

 おそらくは、記録に徹していることが功を奏しているのだ。いらぬ「想い」など排して、カメラの機構に委ねて写された写真からは、撮影した者のまなざしが直接に感じとれる。撮影者は眼前に出現したモノや光景のどこに着眼したのか、何に惹かれてシャッターを押したのかが、よく伝わってくる。

 

 そう、記録に徹した写真を通して、わたしたちはあの岡本太郎の視線を追体験できるわけだ。会場で写真を順に眺めていくと、彼はいつだって、できるかぎり直観的にものを捉えんとしていたのであろうことに気づく。眼の前の事物が明確な言葉と結びついて意味を成す前に、世界を丸ごとわしづかみにしようとしていたのだ。

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 展示室内には写真とともに、太郎の絵画・彫刻作品も置いてある。彼の眼に映ったものが、絵画や彫刻へとどう転換されていったのかも想像できて興味深い。

 岡本太郎の印象的なあのギョロリとした眼が何を見つめていたかを知ることができるとは、なんともエキサイティングな体験だ。