両眼をギョロリと見開いてひとこと、「芸術は、爆発だ!」。
岡本太郎といえば、誰しも真っ先にそんなイメージを思い浮かべるだろうけど、あれはテレビCMで見せた演技が人口に膾炙しただけ。本来の太郎はもっと理知的で、作品も「爆発」のみに頼るのではない多様なものを残したアーティストだ。
岡本太郎の知られざる一面として、彼が撮った写真に着目した展覧会が開かれている。川崎市岡本太郎美術館での「岡本太郎の写真 採集と思考のはざまに」展。
記録に優れた装置として、写真がお気に入りに
岡本太郎は1911年の生まれ。父は一時代を築いた漫画家の岡本一平、母は小説家の岡本かの子であり、文化的な名門家庭で育った。
10代の終わりには、パリへと留学。哲学や社会学に関心を抱き、パリ大学で民俗学と文化人類学を学ぶ。そのころにピカソ作品を実地に観て、抽象絵画の道を志すこととなる。
帰国後は精力的に作品を制作し、情熱的なかたちと色彩を持つ絵画や彫刻を続々と生み出していった。同時に太郎は、旺盛な執筆活動も続けた。日本の風土を芸術的観点から読み解く雑誌連載では各地を取材し、その際にはみずから写真も撮った。
そうして日本各地を巡りながら撮った膨大な写真群が残された。これがいま観るとひじょうに魅力的だ。とはいえ決して派手さはなく、正確性を旨とし事象を淡々と切り取ったような写真が中心。岡本太郎の写真と聞けば、大阪万博の会場に屹立させた彼の代表作《太陽の塔》のように、人の度肝を抜くようなユニークさに満ちているかと想像するが、そうじゃない。
「写真が一番尊ばれるのはエキスプレッション(表現)ではなく、ドキュメンタリー(記録性)じゃないか」
と発言しているように、太郎は事象を正確に記録してくれる装置として写真に信を置き、各地でありとあらゆるものを撮った。風景、子どもたち、民家、祭り、商売の様子などなど。その土地をかたちづくるもの、すべてを写真に収めんという勢いだ。
それらの写真はどれもアングルや露出などが決まっていて、的確なカメラさばきを感じさせる。これは当然といえば当然。何しろパリ時代に、写真作品で美術史に足跡を残したブラッサイやマン・レイから直接に写真の手ほどきを受けた経験があったり、報道写真の大家ロバート・キャパとの交流もあったほどなのである。